研究ノート④リトルシーズンの期間は「一時と二時と半時の間」かもしれない

今回は黙示録の中に、リトルシーズンについて書かれているかもしれないと思われる聖書箇所を紹介したいと思います。これは私が見つけたのではありませんが、可能性があるのではないかと考えているところです。
千年王国は終わっている説の紹介を始めた頃は、「キリストはすでに再臨されて、千年王国が終わっているので、黙示録の災害に関する出来事はすでに終わっている」という考えを紹介してきました。ですので「以前に書いていたこととは話が違うではないか」と思われるかもしれません。
しかしながら、「千年王国は終わっている説」は研究者も少なく、最近議論が始まった説ですので、新しい発見と共に私自身の考えも修正していきたいと思っています。
今回ご紹介することは「研究ノート②神の怒りは再び地上を破壊する」と同様に、私たちの時代にも厳しい試練があるという結論になっています。「絶対にこの解釈が正しい」と主張するつもりはありませんので、一つの解釈としてご参考にしてください。
黙示録12章にリトルシーズンが書かれているかもしれない
黙示録12章を紹介しながら簡単に解説をしていきます。
キリストの誕生と千年王国まで
黙示録12章
12:1
また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた。
12:2
女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。
12:3
また、別のしるしが天に現れた。見よ、炎のように赤い大きな竜。それは、七つの頭と十本の角を持ち、その頭に七つの王冠をかぶっていた。
12:4
その尾は天の星の三分の一を引き寄せて、それらを地に投げ落とした。また竜は、子を産もうとしている女の前に立ち、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
12:5
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた。
12:6 女は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。
1節はイエス・キリストが誕生したときの、天体の配置を表していると考えられていて、イエスの誕生の様子が描かれていると言われています。つまり産まれた「男の子」とはイエスのことです。
そして「女」とは「教会」を指す象徴的な言葉と言われていて、イエスに従う教会は、「竜」に象徴される者たちから、激しい抵抗に直面することを示していると解説されることが多いです。
女(教会)は荒野に逃れますが、この時女(教会)に定められた試練の期間が「千二百六十日」だったと考えられます。
12:7
さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、
12:8
勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
「第3回 エルサレムに現れたしるし」でも紹介していますが、エルサレムの神殿崩壊前に、「戦車が天空に現れ、武装した密集体形の兵士たちが雲の中を疾走した」ことや、「天空で戦列が衝突し、武器が火花を散らすのが見られた」など、空中戦のようなものを古代の歴史家が書き残しています。1世紀に、実際に天での戦いが起こったかもしれないと考えています。
12:9
こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。
12:10 私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。
12:11
兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。
ここまでが「千年王国直前の様子を描いているのではないか」ということです。
つまり、「兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった」というのは、イエスに従って殉教した1世紀の人々について述べられていると考えられます。
この時悪魔は敗北し、天から地に投げ落とされて、結果的に、底なきところに閉じ込められたと考えられます。
リトルシーズンが書かれている箇所
12:12 それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。
12節前半は、イエスと共に栄光体を持って復活した人たちや天使の間に、大きな喜びがあった様子が描かれています。
しかし12節後半に書かれた「悪魔が自分の時が短いことを知って 」という表現が、まさに「最後の時代のリトルシーズンを言い表しているのではないか」ということです。
12:13
竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。
12:14
しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。
先の6節では、女は「荒野」に逃れ、その期間は「千二百六十日」でした。
14節では、女は鷲の翼で「荒野」に移動して、その期間は「一時と二時と半時の間」と書かれています。
つまり「イエスに従った者たちが荒野で養われる」という出来事が「2回起こる」のではないかということです。それは迫害が、2回起こるということを意味しています。
過去の記録が消されたマッドフラッドの時代
12:15 すると蛇はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
12:16 しかし、地は女を助け、その口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
「蛇が水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした 」という表現は、千年王国が終わった後の「マッド・フラッド」と称される出来事を言い当てているのではないかということです。
マッドフラッドとは「泥の洪水」という意味で、多くの古代の建物が泥の中に埋まっていたこからこのような呼び名になっていますが、実際に洪水が起こったというわけではありません。
しかしながら、「研究ノート① 新天新地になぜ海は消えるのか?」でもご紹介していますが、水は記憶を保持していることを考えたとき、「大水でできた川が飲み干れた」という描写が、「千年王国の記憶がすっかり消されてしまった」ことを表現しているいるのではないかと考えられます。
12:17
すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。
12:18
そして、竜は海辺の砂の上に立った。
そして「女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たち 」とは、千年紀が終わり、リトルシーズンに生きる聖徒、つまり現在の私たちを意味する言葉であると考えられるのではないでしょうか。
特に「女の子孫の残りの者」という言葉は、明らかに後の世代の人たちであることを言い表しています。
そうすると、今まで「黙示録のすべての災害は終わっています。あとはゴグマゴグの戦いだけなのです」と、自分たちの時代に迫害は起こらないと呑気に構えている人ちは、たいへんな考え違いをしていることになります。
「一時と二時と半時の間」という表現は、ダニエル書に2回登場しますのでそちらも紹介していきます。
ダニエル書に書かれている「一時と二時と半時の間」
ダニエル書7章と12章を見ると、こちらも世の終わりの直前の時代であることを示していると考えられます。
ダニエル書7章
7:25
いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。
7:26
しかし、さばきが始まり、彼の主権は奪われて、彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。
7:27
国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。
悪魔が解放されてリトルシーズンが始まった途端に「 時と法則を変えようとした」ことは明確ではないかと考えています。
まず暦と歴史を改ざんし、最終的にグレゴリオ暦で世界を統一しました。フラットアースを隠し、球体の地球やビックバンを導入し、ダーウィンの進化論を導入しました。現在ではLGBTQ、ワクチン、遺伝子組み換え、AIなどを導入して、家族・男女・人間の生き方や自然の法則を変えています。
そして26節には「さばきが始まり、彼の主権は奪われて」とあり、一時と二時と半時の間とは、さばきの直前に起こる出来事であることがわかります。さらに「彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。」という言葉がありますので、このさばきは最後の審判であることが推測されます。
つまり最後の審判の直前の時代に「聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。」と語られていて、リトルシーズンの時代を指しているのではかないかと考えられます。
ダニエル書12章
12:1
その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。
12:2
ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。
12:3
賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる。
12:4
ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る。」
12:5 私ダニエルが見ていると、見よ、二人の人が立っていた。一人は川のこちら岸に、もう一人は川の向こう岸にいた。
12:6
その一人が、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになると終わるのですか。」
12:7
すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼はその右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方にかけて誓った。「それは、一時と二時と半時である。聖なる民の力を打ち砕くことが終わるとき、これらすべてのことが成就する。」
ダニエルの「この不思議なことは、いつになると終わるのですか。」という質問に、「それは、一時と二時と半時である。聖なる民の力を打ち砕くことが終わるとき、これらすべてのことが成就する。」と回答されています。
12章の冒頭の文脈から考えると、最後の審判がある時代に、「一時と二時と半時の時代を経て、すべてのことが成就する」と語られているのではないかと思います。最後の時代とは、つまりリトルシーズンの時代であり、その時代が「一時と二時と半時」である可能性があると考えられます。
一時と二時と半時の間とは?
新改訳では「一時と二時と半時の間」と書かれていますが、口語訳では「ひと時と、ふた時と、半時の間」、新共同訳では「一時期、二時期、そして半時期」となっています。
通常は、「1年+2年+半年=3年半である」と解説されていますが、ギリシャ語を直訳すると「一時、幾つもの時、半時」となるそうです。
「一時と二時と半時の間」が、サタンが解放された「しばらくの間」の期間だとすると、意図があってこの表現になっているだろうと思います。それはそれぞれの時代がはっきり分かれているのではないかと思いました。
これは私の考えですが、3つの時代に分けることができるかもしれないと思いましたのでご紹介します。
一時、一つの時代、千年王国の記憶を消した時代
千年王国が終わり、解放されたサタンが最初に取り組んだのは、千年王国の記憶を消すことでした。
イエズス会(1534年設立)、フリーメーソン(16世紀後半)が設立して、やがてフランス革命(1789年)があり、1776年にアメリカ建国し、同じ年にイルミナティが設立しました。
この時代に神が創られた世界は球体とされ、ダーウィンの進化論が登場し、千年王国の建築物は破壊されたり別の物語に書き換えられ、聖書の世界観は終焉を迎え、新しい世界観を提供する土台が作られました。
二時、幾つもの時代、さらに過去の記憶を消した時代
そして、徹底的に人々をだます時代が始まりました。多くの地域で民族紛争や戦争や革命があり、結果的にサタンの権力に乗っ取られていきながら、それぞれの国が整えられていきました。グローバルな世界的組織によって金融、政治、経済、医療などが運営され、すべての国が所属させられていきました。
学校教育は不可欠となり、書き換えられた歴史や様々な嘘を暗記させられて、人々は学校で学ぶこと以外は真実ではないと考えるようになりました。映画やテレビが娯楽として提供され、流行が作られ、様々な洗脳が可能となりました。モノがあふれ、物欲が刺激され、経済的に豊かであることや有名になることが、最高の人生のように信じ込まされてきました。
半時、新世界秩序の時代、道半ばで終わりを迎える時代
すでに多くの人が理解されていると思いますが、これからさらに世界は大きく変化していくと考えています。
デジタル文明がさらに加速して、人間の生き方はイエスが生きていた時代とは、全く違う姿になっていくだろうと思います。
AIによって多くのことを決定してく時代になるのは明白だと思います。さらに監視や統制によって、厳しく言論が規制されていくだろうと思います。
しかし「半時」とされているのは、支配層が予定していたことが、道半ばで終わりを迎えるという意味があるのではないかと思いました。
この解釈が絶対に正しいとは考えていませんが、「一時と二時と半時の間」と区切って表現したのは、それぞれの時代には大きな違いがあるからではないかと思いました。
さらにリトルシーズンの時代にも、迫害があることを示しているかもしれない黙示録の個所を紹介します。
「しばらくの間」と書かれている箇所
「リトルシーズン」という言葉は、黙示録20章3節の「しばらくの間」という言葉を引用したものです。
黙示録20:3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
黙示録には他にも「しばらくの間」と書かれている箇所があります。
黙示録
6:9
子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。
6:10
彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
6:11
すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。
先の殉教者と同じように、殺されようとしている兄弟たちの数が満ちる期間は、「しばらくの間」なのです。
先にご紹介した黙示録12章では、イエスに従った者たちの迫害が「2回」起こる可能性をご紹介しましたが、そうすると、「いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」と叫んでいる人たちが、先に迫害を受けたイエスの弟子たちで、「同じように殺されようとしている兄弟たち」とは、リトルシーズンの殉教者かもしれないのです。
この意見には反論があるだろうと思います。
なぜなら、続く6章12節では、「太陽は毛織りの粗布のように黒くなり」とあり、これは人類史上最悪だった西暦536年の、太陽が暗くなった時に成就したと考えられているからです。
しかし同じことが2回起こる可能性があるかもしれません。
また続く14節には、「天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり」という言葉があり、これは「天が消える」最後の時代を示唆しているかもしれません。
冒頭にも書きましたが、「絶対にこの解釈が正しい」と主張しているわけではありません。
しかしながら、千年王国は終わっていたということが明らかになったからと言って、黙示録のすべての災害が終わっていると考えるのは、間違いではないかと考えています。































