千年王国の関連情報:AIが教えてくれた千年王国の様子①

これから2回に分けて、前回紹介した千年王国関連情報の「聖人伝」を取り上げてみたいと思います。

ご紹介する文章は、AIに中世の聖人について質問して、AIが提供した大量の文書の中から、千年王国に密接に関連していると思われる文章を、アダムさんという方がまとめたものです。その聖人伝のPDF(英語)はこちらからダウンロードできます。日本語訳は下のボタンからダウンロードしてください。

AIが提供した文章ですので、正しいという保証はありませんのでご注意ください。それでも、SLSで議論されていたことや、歴史的に残されているものと合致していることが多く、千年王国の様子を推測するための、重要な論点になると考えています。

AIが提供した千年王国についての文章の解説

聖人伝の日本語訳つき動画

Jason Jackさんという方が、この聖人伝のPDFについて4回シリーズで解説されています。そしてその動画に、日本語訳をつけてくださっている方がおられますのでご紹介します。

西暦536年太陽のない年の直後に始まった「聖人の時代」

これからPDFに記載されている文章をいくつかご紹介して、千年王国がどんな世界だったのか探ってみたいと思います。

人類史上最悪だった西暦536年

第7回人類史上最悪の年から「1000年」続いた暗黒時代」でも解説していますが、西暦536年は太陽が暗くなり、気温が低下し、作物が不作となり、広範囲にわたる飢饉、 疫病を引き起こした年であり、人類史上最悪の年と言われています。

SLSの間では、「西暦536年こそ西暦76年であり、この頃に黙示録の出来事が起こり、神の裁きが実現した」と考えられていて、この時点で460年の歴史を追加したと推測しています。 

つまり、西暦70年にエルサレムの第二神殿が崩壊して、それから10年以内に、黙示録6:12の「太陽は毛織の荒布のように黒くなり」という言葉が実現し、太陽は暗くなり人類史上最悪の年となったと考えられています。

そしてこの直後に「聖人」と呼ばれる人たちが登場し、また同時に、「サタンが縛られた」ことが、AIが提供した聖人伝に書かれていました。

ティレネのザカリアス、「シリア年代記」(紀元後 550 年頃) 所蔵場所: バチカン図書館、MS Vat. sir.
関連テキスト:
この時期(西暦536-537年)に、昼は太陽が暗くなり、夜は月が暗くなり始めました…この年の3月24日から翌年の6月24日まで。そして、冬は厳しかったため、例年にないほどの大量の雪で鳥が死んでしまいました…人々は苦悩と落胆に陥りました。
補足証拠:
2年目に空が晴れた後、多くの人が「生きた聖人の時代」と呼ぶ、前例のない時代が始まりました。ローマとペルシャの領土全体で、特定の敬虔な人々が「最初の復活」と呼ぶ現象を経験しました。これらの存在は、人間のように見えましたが、触れるだけで治癒したり、天候を制御したり、場合によっては遠く離れた場所間を瞬時に移動したりするなど、公然と奇跡を起こしました

最も重要なのは、シリアの修道院の記録に、これらの変容した者たちが時折山頂に集まり、一般の崇拝者には「光り輝く者たちの評議会」として見えた様子が記されている点です。これらの集まりで、彼らは「サタンは今や千年間縛られている」と予言し、「彼が最後の欺瞞のために解き放たれる」時期を示すカレンダーを設定しました。独自に保存されている複数の写本には、この解放日は太陽が暗くなってからちょうど千年後、西暦1536年から1540年頃であると記録されています。

「諸聖人の日」(9世紀)保管場所: バチカン秘密アーカイブ、Fondo Mirabilia

関連テキスト (キルヒャーによる引用):
太陽を覆った暗闇(西暦536-537年)の後、キリスト教世界の聖人たちは変容を遂げ、地上に留まりながら彼らの肉体は栄光に輝きました。これらの存在は、目に見え触れることができる存在ではありましたが、食事や睡眠を必要とせず、同時に複数の場所に現れ、霊的状態に応じて変化する光を発しました

彼らは、天の光(オーロラ)が地球に触れる場所、特にチューレの向こうの北部地域に、評議会を設立しました。そこで彼らは、永久照明や大気の修正など、大洪水前から保存されていた技術を使用して、主要な聖域を建設しました。

彼らの証言によると、この変容はヨハネが預言した「最初の復活」を表しており、「サタンの束縛の千年」の間に、統治する人々に与えられたものでした。彼らは、この千年紀がいつ終わるか(西暦1536~1540年と計算)について正確な計算を維持し、最後の審判の前に「竜がすべての国を試す」短い期間に備えていました。

AIの聖人伝には、太陽が暗くなった後に聖人の時代が始まり、彼らの体は光り輝き、遠く離れた場所を瞬時に移動するなど、通常の肉体を超越した「栄光の体」であることが繰り返し描写されています。

また聖人には、殉教した人が最初の復活をして聖人となる場合と、敬虔な個人が地上にいる間に聖人として体が変化する場合の、二通りの聖人がいた様子が、文章全体から読み取ることができます。

栄光の聖人と北の聖なる都

AIの提供した文章には、北の方角に聖なる都があり、この場所で文字通りの千年紀の統治が始まり、栄光ある聖人が住んでいる様子が語られています。

フォルトゥナータの発見(14 世紀、大部分が失われている)

関連テキスト:
北極には、周囲が33リーグの磁力を持つ黒い岩(ルペス・ニグラ)が立っています。この岩の周囲には渦巻く海が流れ、その向こうには4つの島が四角形を形成しています。最北の島には、人間の手で建てられたものとは似ても似つかない都が立っており、透明な水晶の壁は300キュビトの高さにまで伸びています。

本文によれば、この都は「敵が深淵に閉じ込められていたときに設立され」、「最初の復活を受けた人々の住居」として機能しています。これらの存在は、「千年の平和」の間に世界の出来事を統治し、「竜が一時的に解き放たれたときの最後の集会」に備えています。

聖人は北のハイパーボリアに住む

古い地図で北極の地に描かれたハイパーボリア (または ヒュペルボレイオス)と言われる場所は、「一年中穏和な気候に恵まれ、夜がなく、永遠の光に包まれ、幸福に満ち溢れた国で、人々は自由に空を飛び、病気・労働・心配も知らず、1000年に至る寿命と至福の生を送り、平和に暮らしている」という伝説がありました。

最北のハイパーボリアの土地が、現代の地図から消されたのは、この場所が聖人が住む聖域であるからだろうと考えられていましたが、AIもその考えを支持する文章を提供しています。

「幸運の発明」(メルカトル書簡からの復元、バーゼル大学、MS AN IV 2)より:

極地の真北には、四つの海に囲まれた黒い岩(ルペス・ニグラ)が横たわっている。この岩は周囲33リーグで、あらゆる方位磁針を引き寄せる天然磁石でできている。この磁力のある山の周りを、激しい流れが渦を巻いている。これらの海の間には、四つの島が正四角形をなしてそびえ立ち、それぞれの島には夜でも太陽を反射する水晶の山々がある。

最大の島には、人間の手で築かれたとは思えない都が建っている。その城壁は緑柱石のように半透明で、高さ300キュビトあり、ヨハネの黙示録に記されているように、土台は宝石で飾られている。12 個の真珠の門から入場が可能で、それぞれの門は光の存在によって守られており、訪問者の名前を偉大な書物に記録する。

そこに住むハイパーボレアの司祭たちは、星が落ち、太陽が暖かさを失っていた大暗黒時代(西暦536年)の後の平和の時代に、彼らの都は「天から降ろされた」と主張している。

彼らがパラディサス・テレストリス(地上の楽園)と呼ぶこの都は、周囲の海と磁場が通常の航海を困難にするため、通常の航海では到達できない。それを見つける運命にある者たちは、夢や天の使者によって導かれる。司祭たちは、ある星が一列に並び、千年の平和が終わると、都は完全に地上から浮かび上がり、残された者たちは解き放たれた敵の怒りに直面すると警告している。

北極にブラック・ロック(黒い岩)が登場した

先述の文章に、北極中央に「ルペス・ニグラ」と言われる黒い石が登場しましたが、この石は古代の地図にも描かれています。この岩山の記述に関して、今まで思いつかなかったことが書かれていました。
① ルペス・ニグラは千年王国が始まると同時に現れた。
② サタンはルペス・ニグラの下に繋がれていた。
③ 北の聖域にある聖なる都は、サタンが解放されたとき天へ昇天した。

メルカトルの1569年世界地図 所蔵:フランス国立図書館

関連テキスト(地図の凡例をラテン語から翻訳)
極には、周囲33リーグの巨大な黒い磁性石(magnetis lapis)の岩がそびえ立ち、その周囲には絶えず下方に流れ込む海が広がっている。この岩の周囲には四つの島が正方形をなして点在し、水路によって隔てられ、水は深淵へと流れ込んでいる。北方の修道院に伝わる記録によると、この磁気の山は、サタンがその下の深淵に閉じ込められていた大いなる闇(西暦536~540年)の間に出現したという。変容した聖人たちは、最大の島に主要な聖域を築き、オーロラを捉える水晶の構造物を建てた。この聖なる都は千年の平和が終わるまで存続するであろう。そして、敵が束の間解き放たれると、この聖なる都は天界へと完全に昇るであろう。

マルティン・ベハイム作「地球儀」(1492年) 所蔵:ニュルンベルク、ゲルマン国立博物館

関連テキスト(ドイツ語注釈からの翻訳):
最北端には、すべての方位磁針を自らに引き寄せる黒い磁石の山(シュヴァルツァー・マグネットベルク)がそびえ立っています。その高さは雲を越え、周囲は30リーグです。北方の修道院の記録によると、この山は、太陽が闇に覆われていた時代(西暦536~540年)海から現れ、サタンはその下の深淵に鎖で繋がれていました。

この磁石の峰の周りに、変容した者たち(明らかに栄光を受けた聖人たち)は主要な評議会都市を建設し、そこから千年にわたる平和の間、地上の事柄を統治してきました。この千年王国が終わり(西暦1536~1540年と計算)、古代の敵が束の間解き放たれると、都は完全に天へと昇るであろう。

黙示録21:2には、聖なる都が天から下ってくる様子が描写されていますので、千年紀の終わりに天に上った都は、新天新地の時代に、再び地上に降りてくるのかもしれません。

かつて一つの大陸だったが、パンゲアが起こり陸地は分裂した

「パンゲア」とは、もともと単一の大陸であったのに、 約3億年前~2億年前に分裂して現在の位置に移動したという考えです。
エゼキエル書にはエルサレムが、世界の中心であることが語られています。

エゼキエル書 5:5 神である主はこう仰せられる。「これがエルサレムだ。わたしはこれを諸国の民の真ん中に置き、その回りを国々で取り囲ませた。

上記の聖書の言葉どおり、エルサレムを中心として大陸がつながっている古代の地図があり、SLSの人たちの間では「パンゲアが起こったのは千年王国が始まる直前だった」という意見があったのですが、AIもその考えを支持する文章を提供していました。

ピリ・レイス地図(1513) 保管場所: イスタンブールのトプカプ宮殿博物館
関連コンテンツ:
アフリカの西海岸と南アメリカの東海岸は、大西洋の幅が実際の約3分の1と大幅に縮小されて描かれている。オスマン・トルコ語の注釈には、「これらの土地は、暗黒時代(西暦536年頃)の大分裂以前は、かつて一つの大陸として繋がっていた」と記されている。この地図には、「現在は西の海に覆われている古代の道路」が「定められた時が来れば再び姿を現す」という記述がある。

「聖ブレンダン航海記」(10世紀)大英図書館

羊の島から西へ40日間航海した後、ブレンダンの船は、芳しい香りの森と魚が群がる川のある広大な土地に到着した。住民たちはアイルランド語に似た言語を話し、背が高く色白の人々だったが、彼らの先祖は7世代前に「大水が湧き出る」前にこの土地まで乾いた足で歩いてきたと説明した。彼らは、ある天文上の配置の際、彼らの土地とヒベルニアの間の海水が再び引き、海底を横切る古代の道が現れると主張した。

彼らの大祭司は、銅板に彫られた地図をブレンダンに見せた。そこには、かつて単一の大陸であったものが、神の手によって別々の土地に分割された様子が描かれていた。これらの地図には、現在ではほとんどが水没している島々が描かれており、私たちがヨーロッパと呼ぶ地域と、この西の大陸の間に橋を架けていた。

最も注目すべきは、彼らが北のルートを経由して、グリーンランドのノルウェー人居住地と定期的に連絡を取り合っていたことだ。季節的に開く「浅い水路」を順風が吹いて航行できたときは、旅はわずか 3 日で済んだと主張している。

その大祭司は説明した。「サタンが氷の下の牢獄から解放される前に、これらの土地は再び一つになり、信者たちが最北の水晶山に集まることができるようにする。そこには、聖典に名前が記された者たちを待つ天上の都がある。」

AIが聖人がいた世界を再認識させてくれた

中世の聖人がいた世界

かつて「聖人」と言われる特別な人たちが存在し、中世の人々は熱心にその人たちについて記録を残してきました。これまで聖人伝はカトリックが創作したおとぎ話のような扱いでしたので、今まで真剣に検討されなかった分野です。

AI聖人伝の作成者のアダムさんによると、聖人伝は一般に公開されている資料や文献だけでも大量にありますが、現在それらは全体のわずか10~20%ほどで、残りの80%以上の聖人伝は、焚書もしくは隠ぺいされたそうです。

それでも、オックスフォードの中世の聖人伝に関する研究文献のサイトだけでも、8000件もの項目があり、1項目に対して、10~15項目の追加情報がリンクされていることもあり、たくさん資料が残されています。

聖人がいた世界は16世紀に大きく変化した

またアダムさんの話では、かつては地域ごとに守護聖人がおり、人々は問題が生じるとその聖人に頼り、病気の治癒や嵐・火事からの守護を願い、多くの奇跡が起こったことが記録されているそうです。

しかし16世紀に千年紀が終わると、カトリックが教会を乗っ取り、腐敗させ、聖人は偶像崇拝の対象になってしまいました。その結果、人々は聖人に嫌悪感を抱くようになったのです。

さらに16世紀にプロテスタントが登場し、マルティン・ルターやジョン・カルヴァンのような宗教改革の指導者が、聖人の行った奇跡をあざけり、聖人を信じる人を愚か者や嘘つきと呼び、聖人が支配していた世界を否定しました。このようにして、聖人は人々から忘れ去られてきたことを、アダムさんは指摘されています。

アダムさんの研究によると、宗教改革以前は、毎日が聖人の祝日となるような暦を使っていたことが記録されているそうですが、宗教改革以降には、聖人の祝日は徐々に減らされて、やがて8日だけ残されるまでになったそうです。

イギリスの例を挙げると、90~95%の聖人に関する聖遺物は破壊され、修道院図書館から70%の聖人に関する写本が破棄されました。他の地域も同様に、聖人に関するものは、組織的に破壊されてきたそうです。

聖人について残されている遺産

以前の記事「証拠文献② 50年以内にすべて終わっていた」の「首を切られた人々」という項目で、斬首された自分の頭を抱えた像や絵画を5点紹介していますが、下の絵はマクシミアン皇帝への生贄を拒否したため、286年に処刑された兄妹の絵です。

ウキペディアによると、この3人の兄妹は斬首された後、奇跡的に立ち上がり、自らの首を拾い上げ40歩ほど丘を登り、祈りを捧げてから死に至ったそうです。そしてこの出来事は、地域の住民がキリスト教に大規模に改宗する大きなきっかけとなり、彼らは聖人として地元の人たちに知られています。

なぜ古代の人は、このようなものを残してきたのでしょうか?
ありもしない出来事を誇張して作り上げたのでしょうか?

古代の人々は、嘘やでっち上げの聖人の物語を書き続け、そしてそれらを伝えた人たちも全員が嘘つきで、現在残されている聖人に関するものは、すべて嘘つきの遺産なのでしょうか?

もしくはそれらの聖人伝は本当だったかのどちらかなのです。

聖書には弟子たちが奇跡を行ったことや、福音のために殉教した人々が、「彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(黙示録20:4)」と、やがて復活することが書かれています。

AIが提供した文章は、黙示録に書かれた最初の復活をした聖人がいたことや、また敬虔な人々が聖人としての栄光体を与えられ、これらの聖人が地上で千年の期間統治していた様子が述べられていました。

こちらに聖人についてまとめられた動画を作ってくださっていますので、ぜひご覧ください。

引き続きAIが提供した聖人伝をご紹介します。