第3回 エルサレムに現れたしるし

古代の文献を検証する

イエス・キリストが生きたのは第二神殿時代でした。その第二神殿は、イエスが昇天してから約40年後の西暦70年に、ローマの軍隊によって破壊されたと言われています。その戦争の目撃者で、破壊の様子を「ユダヤ戦記」に記したのがヨセフスです。彼はもともとエルサレムで祭司の家系に生まれましたが、ユダヤ軍の指揮官として戦い捕虜になった後に、ローマのために働いた人物でした。ヨセフスが語る戦争の様子は、誇大されているとも言われていますが、それでも当時の様子を知る貴重な資料として、多くの人に研究されています。

ユダヤ戦記には、戦争の様子だけでなく、エルサレムで見られた不思議な出来事についても記録されています。その不思議な出来事は、ヨセフスだけでなく、その他の古代の歴史家も記録していました。大きくまとめると以下の7項目になります。

1)剣の形をした星の出現
2) 明るい光の出現
3)雌牛が子羊を産む
4)東の門が勝手に開いた
5)空中に軍隊が現れる
6)神殿で話す声が聞かれる
7)アナニアスの子イエススという人物が叫びだす

普通では信じられないと思われることばかりですが、何人もの人が書き残していて大変興味深いと思います。まずはヨセフスのユダヤ戦記に書かれている、不思議な出来事の内容を書き出してみました。

ヨセフスが記述した不思議な出来事

こうしてその頃、いかさま師たちや神の使いを僭称する者達は、みじめな市民を騙し、起ころうとしていた荒廃を予示している前兆に注意を払わず、またそれを信じようともしなかった。彼らは落雷にあって目も心もそれに奪われた者のように、神の警告に聞き従わなかった。

そのような警告は剣の形をした星が都の上空に現れ、彗星が一年中見られた年にも発せられた。また反乱や戦争に至った騒乱が起こる前の、クサンティコスの月の第八日(70年4月25日)の夜の第九時に、民衆が種入れぬパンの祭りに集まってくると、非常に明るい光が祭壇と聖所の周辺を照らして真昼のように明るくなり、そのような状況が半時間も続いた。

またこの同じ祭りの時、犠牲としてささげるために引いてこられた雌牛が、神殿の庭で子羊を生んだ

さらに内庭の東側の内扉が、夜の第六時ころ、ひとりでに開くのが認められた。その扉は真鍮でつくられた非常にがっちりとしたもので、夕方ころに閉じられると、20人の力をもってしても開けることがほとんどできないもので、通常は鉄をはめたかんぬきでしっかりと閉められ、門扉には敷石の中に奥深く差し込まれている、差し錠がついていたのだが。神殿の見張りのものたちが走ってきて警備長に報告した。警備長は上がってくると、やっとのことでそれを閉めた。

この件も(聖なる文章の解釈に)素人である者達には最高位の吉兆に思われた。彼らは神が自分たちのために祝福の門を開けられたと考えたのである。しかし、思慮ある者たちは、聖所の無事安全が今や自然に崩れつつあり、門が開いたのは敵への贈り物だったと理解し、それらの中に荒廃を告げるしるしを認めた。

またその後、祭りが終わって何日もたたないアルテミシオスの月の第二十一日(70年の6月8日)にも、信じがたいダイモニオン(擬人化された神聖な霊)か何かが起こした現象が認められた。実際わたしが、これから語ろうとする事柄は、それを見たものが語ったり、その後で凶兆どおりの不幸が起こらなかったら、面妖奇怪な作り話として一笑に付されるのではないかと思われる。

日没前に、国中の各地で、戦車が天空に現れ、武装した密集体形の兵士たちが雲の中を疾走し、町々を包囲していたのである。またペンテコステと呼ばれる祭りの時、祭司たちが、夜間、通常の奉仕をするために神殿の内庭に入ると、最初は何かが動いているような気配やぶつかり合う音が、そしてその後で、「さあ、われわれはここから立ち去ろう」と気勢を上げる大勢の者の声が聞こえたという。

「ユダヤ戦記3」フラウィウス・ヨセフス著:秦剛平訳 
「陥落前の都で見られた様々な凶兆」より

この文章の続きに、「しかしこれらの兆よりももっと恐ろしかったのは次のものだった」として、不吉な言葉を叫んだ男の話があります。手短に書くと、戦争の4年前の仮庵の祭りの時、アナニアスの子イエススという人物が、神殿の中で突然叫び始めました。「東からの声、西からの声、四つの風からの声!エルサレムと聖所を告発する声、花婿と花嫁を告発する声、すべての民を告発する声!」彼は昼も夜も、この叫び声を口にしながら歩き回ったため、鞭打ちの刑になり、それでも憑りつかれたように、叫び続けたということです。

他の古代歴史家も書き残していた

さて、エウセビオスという、キリスト教の歴史家は、彼の著書の「教会史」にヨセフスの文章を引用して、まったく同じことを記しています。

包囲下のエルサレムの様々な徴と宣託

では、「歴史」(ユダヤ戦記)を取り上げ、第6巻で彼が語ることを聞いてみよう。こうしてその時、あわれな一般市民は、いかさま師や神の使者だと僭称する(得体のしれぬ)連中の言葉にだまされ、目前に迫った(都の)荒廃を明らかに示す徴に注意を払わず、またそれを信じようともしなかった。彼らは落雷にあって目も心もそれに奪われた者のように、神の警告に従わなかった。そのような警告は、剣の形の星が都の上空に現れ、彗星が一年中見られた年にも発せられた。また反乱や戦争を引き起こした騒動が起こる前のタサンティコスの月の夜の9時に、民衆が種入れぬパンの祭りに集まって来ると、非常に明るい光が祭壇と聖所の周辺を照らし出して真昼のようになり、そのような状態が半時間も続いた。

この現象は占いに不慣れの連中には吉兆に思われたが、聖なる文章の解釈者たちは、即座にそれをその後に起こる事件の、凶兆だと解釈した。またこの祭りの時、犠牲として捧げるために祭司が引いてきた雌牛が、神殿の庭で子羊を産んだ

(このような事例はほかにもある、)内庭の東側の内扉―それは真鍮でつくられていたために、きわめて重く、夕方ごろに20人の力をもって閉じられ、鉄をはめたかんぬきがかけられ、差し錠がついていた―が、夜の第6時ごろ、ひとりでに開くのが認められた。また、祭りが終わって幾日もたたないアルテミシオスの月の第21日にも、信じがたい不思議な事件が認められた。実際、私がこれから語ろうとすることは、それを見た者が語ったり、その後で凶兆どおりの不幸が起こらなければ、面妖奇怪な作り話として一笑に付されるだろう。

(話というのはこうである。)日没前に、国中のいたるところで、戦車が天空に現われ、密集隊形武装した兵士が雲の中を疾走し、町々を包囲しているのが見られたという。(またこれは祭司たちの話であるが、)ペンテコステと呼ばれる祭のとき、彼らが通常の奉仕をするために夜間神殿に入ると、最初は何かが動いているような気配が、ついで武器か何かがぶつかり合う音が、そして最後に「われわれはここから立ち去る」と気勢を上げる声が聞こえたという。

「教会史」エウセビオス著:秦剛平訳(上)

誰が読んでも異常なことを承知で、文章に書き残しているので、「私がこれから語ろうとすることは、…面妖奇怪な作り話として一笑に付されるだろう」と書かれています。ところが別の人物で、1世紀に生きたローマの歴史家タキトゥスも、同じ内容を書き残していました。

不思議な現象が起こっていた。迷信にとらわれ、ローマの宗教儀式に敵意を抱くユダエア人(ユダヤ人)は、犠牲や祈願でこれらの現象の汚れを祓い清めることを是認しなかった。天空で戦列が衝突し、武器が火花を散らすのが見られた。雷光が突然黒雲を裂き、一瞬、神殿を照らした。その途端、至聖所の扉が開き「神々が出ていくぞ」という人の声より大きな声が聞こえた。それと同時に神々の出ていく騒々しい物音がした。これらの不思議な現象を恐ろしい警告と解釈した人は、ほんの僅かであった。

「同時代史」タキトゥス著:國原吉之助訳 5章13

ユダヤ人の第二神殿の歴史に関するヘブライ語資料と言われる、Sepher Yosipponにも、同様の描写があります。

ウェスパシアヌスが来る1年前から、鞘から抜かれた剣のように輝く単一の大きな星が神殿の上空に見えました。そのしるしが見られた当時、それは過越の祭日であり、その夜一晩中、神殿は日の光のようにライトアップされて、過越の祭の七日間ずっと照らされた。エルサレムの賢者は皆、それが凶兆のしるしであることを知っていましたが、残りの無知な人々は、それは吉兆だと言った。‥‥

さて、この後、至聖所の上から男性の顔の輪郭が一晩中見えたが、その美しさは全土で一度も見たことがなく、その姿は非常に素晴らしかった。さらに、当時、火の戦車と騎士が見られた。それは地面に近い空を飛んで、エルサレムとユダの全土に向かってやってくる大軍勢で、全員が火の馬と火の騎士だった。ペンテコステの祝日が来たとき、祭司たちは夜中に神殿の中で、人々が歩いて行く音や、神殿に入る群衆が行進する音のようなものを聞いた。そして「この家を出て行きましょう。」という、恐ろしく力強い声が聞こえた

Sepher Yosippon (古代イスラエルの中世史) スティーブン B. ボウマンによるヘブライ語からの翻訳。 第 87 章「神殿の炎上」

偽ヘゲシッポスとして知られる匿名の作家の文章にも、同様の記述があります。

また、何日も経ってから、ユダヤ人の書物が明らかにしているように、ある人物像が途方もない大きさで現れ、多くの人がそれを見た。そして日が沈む前に、突然雲の中に戦車と武装戦闘隊列が見え、それはユダヤ全土の都市とその領土に押し寄せた。さらに、ペンテコステの祭で、通常の犠牲を捧げるために夜に神殿の内部に入った祭司たちは、初めに確かな動きと発せられる音を感じ、 突然「ここを超えていく」と叫ぶ声を聞いたと主張した

Pseudo-Hegesippus、第 44 章 (Wade Blocker によるラテン語からの翻訳)

空中に火の軍隊が現れていた!

神殿崩壊直前のエルサレムでは、●剣の形をした星が現れた、●彗星が一年中見られた、●非常に明るい光が祭壇を照らした、●雌牛が神殿の庭で子羊を生んだ、●門扉がひとりでに開いた、●空中に軍隊が現れた、●何かが動いている気配「ここから立ち去ろう」という声が聞こえた、●アナニアスの子イエススという人物が「東からの声、西からの声、四つの風からの声!エルサレムと聖所を告発する声…」と叫びだすなど、とても奇妙な現象が起こっていました。

これらの現象を見て、思慮ある者たちは凶兆と解釈したと書かれています。不思議な現象が起きたのは、神殿崩壊を目前にしたイスラエル民族への、警告だったのではないかと感じます。

これら不思議な出来事の中でも特筆すべきは、「空中に軍隊が現れた」ということではないでしょうか。なぜなら主の到来するときの描写と、非常に似ているからです。

エレミヤ書 4:13 見よ。それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い。ああ。私たちは荒らされる。

イザヤ書 66:15 見よ。まことに、主は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。

マタイ 16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのですその時には、おのおのその行いに応じて報いをします。

Ⅱテサロニケ 1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります

また黙示録には、「天の戦い」について書かれた箇所がありますので、空に軍隊が現れたことは重要なしるしではないかと考えています。
黙示録12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった

さらにキリストの再臨する時には、ラッパが鳴り響くことが書かれています。当時の人々がトランペットの音を聞いたことが記録されています。
Ⅰテサロニケ4:16 主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。

西暦66年に、人々はトランペットの音を聞いたと主張している。

Sutonius, Lives of the Twelve Caesars,(スエトニウス著:ローマ皇帝伝)

イエスが世の終わりの前兆を語ったとき、「ダニエルの語った荒らす憎むべき者が聖なる所に立つ(マタイ24:15)」と、警告されましたが、なんと「教会史」の著者のエウセビオスは、「荒らす憎むべきものが神殿に建てられた」と書き残していました。

そして以下のことを知りたい人は、ヨセフスの歴史から正確に学ぶことができる。すなわち、どれほど多くの悪が当時(世界の)各地でこの民族全体に蔓延していたか。そしてとくにユダヤ住民がどのようにして究極の破滅に追いやられたか。どれほどの多数の若者やそれ以上の年齢の者が女や子どもたちと共に、剣や飢えやその他無数の仕方で滅びたか。どれほど多くのユダヤ人の町が包囲されたか。最後の首都と考えてエルサレムに逃げ込んだ者がどれほど多くの恐怖やそれ以上の(光景)を見たか。また、戦争全体の性格や、戦争中に起こったすべての出来事の詳細。最後はいかにして、預言者たちの言っていた、荒らす憎むべきものが、かつて(世界中に)宣伝された神の神殿に建てられたか。そして都の完全な破壊とそれに続く劫火による最後の破壊等々である。

「教会史」エウセビオス著:秦剛平訳(上)

ききんと地震も起こっていた

世の終わりの前兆として、イエスは「またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう(マタイ27:3、マルコ13:8、ルカ21:11)」と語られました。

ヨセフスのユダヤ戦記には、エルサレムが包囲されて、城壁内に取り残されたユダヤ人たちが、飢え死にした様子が描かれています。人々をさらに苦しめていたのは、同胞であるユダヤ人叛徒はんとたちの、野蛮で気違いじみた行動でした。

裕福な者たちにとって、(城内に)とどまることは破滅に等しかった。というのも彼らは、その財産のために、投降の容疑をかけられて処刑されたからである。叛徒はんとたちの狂気は飢餓と共に勢いを増し、その二つは日一日と恐怖を燃え上がらせた。穀物はもはやどこにも見当たらなかったために、叛徒たちは人家に飛び込んでは隈なく探し、(何か)発見でもすると、その所有を否認した家人たちを攻撃した。また何も発見できなければ、細心の注意で隠し持っているとして拷問を加えた。この哀れな者たちの健康状態こそは、穀物を隠し持っているかどうかの目安になった。健康状態のまだよい者たちは食べ物に与っていると見なされ、すでにやせ衰えている者たちだけが、彼らの目こぼしに与った。いずれ餓死する運命にある者を殺すのは、意味のないことのように思われたのである。

とはいえ、多くのものが密かに自分の所有物を1メトロン(ひとつかみの分量)の穀物に替え、裕福なものは小麦を、貧しいものは大麦を手に入れた。彼らは穀物を得ると、家のもっとも奥まったところへ閉じこもった。ある者は空腹のあまり穀物を挽かずにがつがつと食べ、またある者は、腹をこわすというので、それを焼いて食べた。食卓をしつらえる所などはどこにもなかった。火からとると、生焼けのパンを奪い合った。

彼らが口にしたのは、哀れなほど少量のもので、その光景は涙なくしては見ることができなかった。強いものは取り分以上のものをとり、弱いものは悲嘆の声を上げた。飢えは人間の一切の感情を圧倒するが、羞恥心の麻痺ほど破壊的なものはなかった。他の場合ならば敬意が払われても当然のものが、このような状況では軽視された。妻は夫から、子供は父親から食べ物を奪い取った。もっとも悲惨だったのは、母親が自分の幼児の口から食べ物を奪い取る光景だった。彼女たちは最愛の子が、自分の腕の中で息を引き取ろうとしているときでも、その生命に必要な最後の一片の食べ物を奪うことをためらわなかった。

人々はこうして糧を漁ったが、監視の目を逃れることだけは難しかった。叛徒たちが至る所に、これらの者たちの略奪物を持って姿を見せたからである。締め切った人家があれば、それは叛徒たちにとって、中の者たちが食べ物にありついている証拠だった。そこで彼らは即刻戸口を打ち破って押し入り、家人の喉を締めんばかりにして、わずかばかりの食べ物を吐き出させた。老人たちは殴打されても食べ物を手放さず、女たちは髪の毛をつかまれて引きずり回されても、掌中に隠し持ったものを手放さなかった。

白髪の者にも幼子にも憐憫の情はまったくかけられなかった。実際叛徒たちは一片の食べ物を握りしめている幼子を抱き上げると、地面にたたきつけたりもした。叛徒たちの闖入を予期して、略奪されそうな食べ物を吞み込んだ者たちもいたが、彼らはそういう者たちにたいして、不正を働かれたと考えて一層残酷になった。

ユダヤ戦記2 フラウィウス・ヨセフス著:秦剛平訳 

この文章の続きには、叛徒たちが食べ物を探し出すために、肛門に先の尖った棒を押し込む拷問を考え出し、人々が震え上がってすべての食べ物を差し出した様子が書かれています。また別の箇所では、女性が怒りと空腹のために自分の子を殺し、ローストして半分をむさぼり食べ、残りの半分を叛徒たちに差し出したエピソードなどもあります。

エルサレムだけでなく、多くのユダヤの町がローマによって破壊され、住民が殺されました。戦争中はイスラエル全土で、食料を生産する余裕はなく、食料が不足したと想像します。

そして地震も頻繁に起こっていました。70年頃までの出来事の様子を、表を作って時系列で解説している人がいましたのでご紹介しますが、地震が何度も起こっていたことがわかります。

日にち出来事文献
51ADローマで地震タキトゥス
51ADパレスチナ南部(Judea)で大地震ヨセフス
59AD10月?ネロが母を殺害カッシウス
59AD10月?母の葬式の最中に皆既日食が起きて星が見えたカッシウス
59AD10月?ネロの食事中に落雷事件。皿に雷が落ち食卓が粉々に散った。カッシウス
61AD地震がコロサイ、ヒエラポリス、ラオディキアの3都市を破壊。ラオディキアのみ復興するタキトゥス、
エウセビオス、
オロシウス
61ADクレタ島で地震タキトゥス、
ピロストラトス
61ADスミルナ、ミレトス、ヒオス島、サモス島で地震ピロストラトス
アナニアスの子イエススが不吉なことを叫びだすユダヤ戦記、
エウセビオス
64ADローマで大火災
64AD使徒パウロ処刑
65AD神殿に光が輝くユダヤ戦記
65AD4月3日剣の形をした星の出現ユダヤ戦記
65AD4月3日彗星が見られるユダヤ戦記
65AD4月9日東の門がひとりでに開くユダヤ戦記
65AD4月9日雌牛が羊を産むユダヤ戦記
65AD5月16日空中に軍隊が現れるユダヤ戦記
65ADペンテコステ
65AD祭司が「ここから立ち去る」という声を聞くユダヤ戦記
65ADラオディキア、カンパニアで地震タキトゥス、ピロストラトス、セネカ
68AD6月8日ガルバが皇帝になる
68AD6月9日ネロが自殺
68ADローマで地震スエトニウス
69AD1月15日オットーが皇帝になる
69AD彗星が見られるカッシウス
69AD3日間で月食が2回あったカッシウス
69AD2つの太陽が見られたカッシウス
69AD兵士が巨大な足跡を見た。ジュピターの神殿の戸がひとりでに開いたカッシウス
69ADオットーが暗殺されてウィテリウスが皇帝になる
69ADウィテリウス皇帝の死の数日前、月食があり血の色から暗い色になったカッシウス
69AD12月22日ウィテッリウス皇帝が斬首されウェスパシアヌスが皇帝になるユダヤ戦記
70AD暴風雨と雷の中、エルサレムで地震ユダヤ戦記
70AD8月6日エルサレムの神殿崩壊
73ADマサダの要塞が陥落

上記の表の地震などの解説は、こちらの動画で見ることができます。歴史書に記録されている西暦 70 年頃のイベントを、時系列で紹介しています。

おすすめ動画:千年王国に関する聖書の言葉と、古代歴史家によって書かれた不思議な出来事を紹介しています。

おすすめ動画:神殿崩壊の時の様子を解説しています。

古代の歴史書などをの文献を読むと、聖書の神が選んだイスラエル民族が滅ぶという、動乱の時代に生きた人たちの様子を垣間見ることができます。

当時すでに、反キリスト(Ⅰヨハネ手紙2:18)も現れていて、荒らす憎むべき者が神殿に建てられたとエウセビオスが書き残しました。日食、彗星などの天体のイベントがあり、空には火の馬と火の騎士の軍隊が登場していたのです。預言されていたいくつかのことは、1世紀にすでに実現していた可能性を感じます。