研究ノート③地を受け継ぐとは

今回は「地を受け継ぐ」ことについて、聖書と聖書外典から考えていきます。
キリスト教の救いのイメージは「死んだら天国に行く」というものです。
しかし聖書をよく読むと、神の祝福は天国に行くのではなく、「地や国を受け継ぐこと」であると書かれています。
地を受け継ぐ
詩篇37:9 悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。10 もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
詩篇115:15 あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。16 天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。
箴言 2:21 正直な人たちは地に住まいを得、全き人たちは地に生き残る。
箴言 10:30 正しい人は永遠に揺るがされることがない。しかし、悪しき者は地に住むことができない。
イザヤ書 57:13 あなたが叫ぶとき、あなたが集めたものどもに、あなたを救わせよ。風が、それらをみな運び去り、もやがそれらを連れ去ってしまう。しかし、わたしに身を寄せる者は、地を受け継ぎ、わたしの聖なる山を所有することができる。
ダニエル書7:18 しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。
マタイの福音書 5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
ローマ人への手紙4:13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです。
「地を受け継ぐ」と言っても、人は死ぬと地上からいなくなりますので、寿命のある人間が地を受け継ぐとは、どのような意味になるのでしょうか?
このことについて、聖書外典に書かれていることを含めてご紹介したいと思います。
まず前提となるのは、人間は一度死ぬこと、そして死後に裁きを受けることが定められています。
ヘブル人への手紙 9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
つまり人間は必ず死ぬ運命なのですが、死後について、聖書や聖書外典には同じことが繰り返し語られていますので、以下にまとめてみました。
死も黄泉も死人を出す
死んだ人は、やがて地上に出てくることが書かれています。
黙示録20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
外典:第四エズラ書 7:32 大地は地中に眠る人々を地上に返し、塵はその中に黙して住んでいる人々を戻し、陰府の部屋はそこに預けられていた魂を外に出す。
外典:ペテロの黙示録:四
彼は黄泉(ゲヘナ)に、その鉄の閂をはずして、なかにいるものを全部返すように命ぜられるであろう。彼は人間が現われることを望んで、動物と鳥にも食べた肉をすべて返すように命ぜられる。…地は判決の日にすべてのものを返すであろう。そのときそれ(地)も天とともにさばかれることになっているからである。
外典:シュビラの宣託2章227
地金で出来ている黄泉の扉の、恐ろしい折れることのない鋼の巨大なかんぬきを、偉大な天使ウリエルはたちまちばらばらにこわして投げ捨て、悲しみにみちているすべての像を、さばきへと連れて行くであろう。中でもずっと以前に生まれたティタンたちギガスたちの像、洪水が取り去ったすべてのもの、海の波が外洋で命を奪ったものたち、獣や爬虫類や鳥の犠牲になったものたち、このものたちすべてを彼はさばきの座の前に呼び出すであろう。また、肉を食らう火の炎でほろぼされたものたちを、それらを彼は集めて神のさばきの座の前に立てるであろう。
外典:シリア語バルク黙示録
50:2 そのとき地は、いま入れてあずかっている死者をまちがいなく返すであろう。その形にはなんの変化もなく、受け取ったまま(の形で)返すであろう。わたしが彼らをそれに引き渡したそのまま(の姿)で、それ(大地)は彼らを復活させるであろう。3 そのときには、(ひとたび)死んだ者が生き(返り)去った者が(戻って)来たのだということを、生きている者たちに示してやることが重要になる。4 いま識り合いの者がお互いに気付き合ったとき、そのときさばきは効力を発し、予告されていたことが実現するだろう。
外典:エノク書 第51:1
その時地は、預かっていたものを返し、黄泉は預かりものとして受け取ったものを返し、地獄は借りたものを返すであろう。 彼(メシア)はその中から義人たち、聖人たちを選び出す。彼らが救われる日が近づいたゆえ。 そのとき、選ばれた者(メシア)はその座に座し、ありとあらゆる知恵の奥義をその口は注ぎ出す。霊魂の主が彼にそれ(知恵)を授けて、栄誉を賜ったのである。そのとき、山々は雄羊のように踊り、丘は乳をたらふく飲んだ子羊のように跳ね回る。そして、みな天使になる。彼らの顔は喜びに輝く。そのとき、選ばれたものが立ち上がるゆえに。地は喜び、義人たちがそこに住まい、選ばれた者たちがそこを縦横に闊歩してまわるであろう。
死人が地から出てくる?
まるで「墓地から土をかき分けて甦るゾンビ映画のシーン」を彷彿させるような出来事だと思いました。
しかしさらに、「死人を復活させる」と書かれている箇所がとても多くありました。
死人は復活する
エゼキエル書 37:8
わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。9 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。10そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。
※ヘブライ語聖書より古いギリシャ語聖書では、エゼキエル書37章は39章の後に書かれています。
ダニエル書12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
ヨハネの福音書5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
Ⅱコリント人への手紙 5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
※「 現れなければならない φανερόω 」の単語:明らかにする。公然と見えるようにする。
外典:シビュラの託宣第二巻:
この全能者おひとりのみが不死なるかたであり、人間たちの審判者であられよう。そのときこの天上にいますかたは、地下にいるものたちに、魂と息とことばと、またあらゆる種類の関節と結びつけられた骨と肉と腱と血管と、身体を包む皮膚と前髪とをお与えになるであろう。 不死なるものへと組み立てられ、息を吹きこまれて動かされその地的身体はある日復活するであろう。……万軍の主、いと高きところで雷をひびかせるかたが、死者たちを復活させ、彼らの運命の枷を解き放ち、 天の座につき、大きな柱を建てるとき、不滅なるかたのところに雲に乗って、みずから不滅であるキリストが栄光の中に、高貴な天使たちとともに来、偉大なるかたの右に座し、さばきの座で敬虔な人たちの生活、不敬虔な人たちの生き方をおさばきになるであろう。
外典:シビュラの託宣第八巻:
それから、聖なる君主が、死人たちを復活させ、永遠に、全地に対して王杖を手にするであろう。
・・・しかし、10番目の世代が黄泉の家の中に(はいる)と、その後ひとりの女性が大いなる力を(得る)。 彼女がその支配を名誉をもって飾るのに成功したとき、神ご自身が彼女に対し、たくさんの災厄をおふやしになるであろう。丸一年は半分の時になる。太陽は乾いた道を走り、夜のような光しか発せず、 星は天を去るであろう。そして数多くの暴風で(人々を)犠牲にしながら、(神は)地をお荒しになるであろう。(それから)死者たちの復活があるであろう。
足のなえた人はこの上もなく速く走り、聾者は耳が開け、盲人は見、 聾者は話すようになろう。財産と富とはすべての人にとって共通となろう。 大地はすべての人の所有となり、垣根や柵で区分けされてはおらず、たくさんの実りをもたらすであろう。また、甘い酒、白い乳、蜜 の泉を湧き出させるであろう。・・・
来たるべき王が天から世に来られる。彼は来て、すべての肉と、全世界とをおさばきになるであろう。人々は、信仰あるものも不信心なものも、いと高き神が時の終わりに天使たちとともに来られるのを見るであろう。彼は、全世界が乾いた土地となり、茨が生じるとき、肉体を持つ人々の魂を、法座の前でお審きになる。
外典:シビュラの託宣第九巻:
私はすべてのものを火でとかし、浄いものを選別し、大空をふるい、大地の奥底を開くであろう。それから死人たちを運命と死の棘とから解放して復活させるであろう。またその後、審判に来て、信仰ある人間、不信仰な人間の生を裁くであろう。
外典:シリア語バルク黙示録
30:1
そののち、メシアの滞在の時が充ちて彼が栄光のうちに帰還されるとき、そのとき、彼に望みをつないで眠 っていたものはみな復活するであろう。2 そのとき、一定の数の義人の魂のしまってある倉が開き、(その魂が外に)出てきて、多くの魂が思うところをひとつにし、みな一団となって姿を現わすであろう。 さきのものは喜び、あとのものも悩むことをやめるであろう。3
彼は、(これが)終末だと言われていたその時が到来したことを 知っている。4
しかし、不敬な者の魂は、これらすべてのことを目にするや、すっかりしょげてしまうだろう。5
彼らは自分たちが責め苦と、破滅(のとき)が来たことを知るのである。
外典:ソロモンの詩篇
3:11
罪びとは永遠に滅び、主が義人に目を注ぐときにも、憶いだしてもらえないだろう。12それが罪びとらの永遠の分けまえだ。しかし主を畏れる者たちは永生へ甦えり、彼らの命は主の光のうちにあり、もはや絶えることはないだろう。
ヨハネの福音書の言葉も紹介していますので、多くの人がやがて復活することは、聖書から逸脱している考えではありません。
永遠に続く新しい世界
このページの最初に「地を受け継ぐ」ことが書かれている聖句を紹介しましたが、それは復活した義人たちが、最後の裁きの後、不信仰や腐敗や罪などがすべて消え去った世界を、「受け継ぐ」ことではないかと考えています。
その世界は、黙示録21章22章に記されている新天新地ではないかと考えていますが、「永遠に続く新しい世界」について、聖書外典に書かれている箇所を紹介します。
外典:シリア語バルク黙示録
44:12
移り行くことのない時が存在する。そして永遠に存続する時が到来するであろう。 その支配下に進む者を朽ちさせず、拷問を受けに行く者を容赦せず、そのなかにあって救われる者を滅亡に導かない新しい世界が。13
これが前述の時を受け継ぐことになる者たちであり、約束の時の嗣業は、彼らのものである。14
この者たちこそは知恵の倉をみずからのためにそなえたものであり、彼らのところには叡智の財がある。彼らは愛を離れず、律法の真理を墨守した。
15
来たるべき世は彼らに支えられるであろう。しかるに、残りの大多数の者の住居は火の中となろう。
外典:第四エズラ書
7:113
裁きの日はこの世の終わりであり、来るべき不死の時代の始まりとなる。その時には、腐敗はもはやなくなる。
114
放縦は解消し、不信仰は断たれ、正義が成長し、真理が現れる。
115
だからその時、だれも、裁きに敗れた者を憐れむことはないし、勝った者を滅ぼすこともできないのである。
外典:エノク書
45:4
その日わたしはわたしの選んだ者を彼らの間に座らせ、天を変えて永遠の祝福と、光とするであろう。わたしはまた、乾いた大地を変えて祝福とし、そこに私の選民を住まわせる。しかし 罪と過ちを犯す者には、その上を歩むことを許さない。私自身が彼らに目をかけ、義人たちに平安を飽きるほど味わわせ、私の前に住まわせたのである。しかし 罪人たちに対する私のさばきは近づいた。私は地のおもてから彼らを滅ぼす。
外典:エノク書
91:11その後 暴虐の根は断ち切られ、罪人は剣に滅び、至るところで瀆神者の根は断ち切られ、不法を心に思い描き、瀆神行為に走るものは刀で滅びる。12
そののち、別の週、義の第八(週)がめぐって来て、剣が手渡され、不法を行う者どもに対して正義の裁きが行われるであろう。また罪人たちは、義人たちの手に引き渡されるであろう。13
その終わりごろ、彼らはその義のゆえに住まいを獲得し、永久に残る、豪華な、大王のための家が建つであろう。14
そののち、 第九週に、正義の裁きが全世界に啓示され、悪人どもの一切の所業は全地から姿を消し、世界は滅亡すべく記録され、全ての人が公正の道を仰ぎ見るであろう。
15
そののち、第十週の第七期に、大いなる、永遠の裁きが行われ、彼は天使たちに罰を下されるであろう。
16
先の天は姿を消して過ぎ去り、新しい天が現れ、天のすべての力は世界を7倍の明るさで照らすであろう。17
そののち数多くの無数の、無数の週が永遠にめぐって来て、善と義が行われ、そのときを堺として、罪が人の口の端にのぼることは 永遠にないであろう。
上記のエノク書には、「先の天は姿を消して過ぎ去り、新しい天が現れ」という言葉があり、私はこの時代が新天新地の時代を指していると考えています。
また「天のすべての力は世界を7倍の明るさで照らすであろう」という言葉がありますが、イザヤ書30章26節に同じことが書かれていて、イスラエルの救いの後に起こる出来事だと考えています。
イザヤ書30章26節 さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようにになる。
聖書や聖書外典が語っていることをまとめると、
『終わりの日に肉体を持った状態で復活して、その時に最後の審判があり、すべての悪は取り除かれ、義人は祝福に満ちた新しい世界で、永遠に神と共に生きる』ことを述べているのではないかと思いました。
その時の肉体がどのようなものなのかは、「足のなえた人はこの上もなく速く走り、聾者は耳が開け、盲人は見、 聾者は話すようになろう。」という言葉があり、欠点がある肉体でないことが推測されます。
バルクの黙示録に描かれている栄光の世界
シリア語バルク黙示録は「聖書外典偽典 第5巻 (旧約偽典 3)」に含まれています。
最後の審判の後にやってくる新しい世界について、シリア語バルク黙示録にはさらに詳しく書かれていて、特に義人は栄光の姿に変えられる様子が描かれています。
天使に似た栄光の姿に変わる
外典:シリア語バルク黙示録 51章
1 定められたその日が過ぎたのち、そののち、罪人とせられる者たちの姿および義人とせられる者たちの栄光が変化するであろう。2 いま不義を行なっている者たちの姿は、彼らが拷問に耐えられるように、いまよりもっと悪くなるであろう。3 同様に、いまわたしの律法に照らして義人とされている者たち、その生涯において叡知を獲得した者たち、その心に知恵の根を植えつけた者たちの栄光も、彼らの顔も変化して輝き、彼らの顔形は彼らの栄えの光に照らされて変わり、彼らに約束されたところの死することなき世界を、わがものとして受けとることができるようになるであろう。4 そのとき来たるべき者たちは、わたしの律法を軽視し、耳をふさいで知恵を聞こうとせず、知識を受け入れようとしなかったというそのことをとりわけ悲しむであろう。5 いまでこそ下積みになっている者たちが、そのときには自分たちよりも上になり、栄誉を得ており、互いの位置が逆転しているのを見、一方は天使の姿に似、他方は幻に驚き、(互いの)姿を見せられたときには、いよいよもってしょげることだろう。
6 彼らはまずもって(これらのことを)見、それから拷問を受けに行くのである。7 しかし自分の行いによって救われた者、いま律法を望みとし、叡智を希望とし、知恵を堅固な(土台)とした人々には、不思議がその定められたときに姿を見せるであろう。8 彼らはいまは彼らにとって不可視の世界を見、いまは彼らの(目) に隠れているときを視るであろう。
9 もはや時は彼らを老いさせないであろう。 10 彼らはその世界の高みに住まい、天使に似たものとなり、星と肩をならべ、自分の好きなように姿を変え、美から華麗へ、光から栄光の輝き へ(と変わり)、11 彼らの眼前で楽園の境界はおし拡げられ、玉座の下に(侍る)数多の生き物の美しさとともに、 いまは姿を現わさないようにわたしのことばによっておさえられているところの、彼らの出現(の時)が来るまで、その場所に待機しているように、わたしの命令によっておさえられているところの、天使の全軍勢が、彼らの前に姿を見せるであろう。13そのときには義人たちのほうが天使よりも優勢となろう。 さきのものは待ちもうけていたあとのものを、あとの者はとっくに(あの世へ)移ってしまったと、いつも聞かされていた者たちを迎えるであう。14 彼らはこの煩悩の世から救い出され、苦悩の重荷を解かれたのである。
15 すると、人はなんでそのいのちを失い、地上にあった者たちはその魂を何と交換したのであろうか。16 苦悩なしには渡れない時を彼らは選び、 末は嘆きと災いに充ちた時を選びとり、それに来たる者を老いさせることのない世界を拒み、その時と栄光をしりぞけた。ゆえに、彼らはわたしがさきにきみに言った栄誉を得るには至らないであろう。
上記の記述は、ダニエル書で語られていることと同じことを述べていると思いました。
ダニエル書12:2
地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
12:3
思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
生みの苦しみは終わる
さらにシリア語バルク黙示録には、朽ちないものの時代が始まると、「女性の生みの苦しみが終わる」ことが書かれています。上記の記述では、天使のようになる義人がいる様子が書かれていますが、その時代にも子どもが産まれ、苦労を伴わない労働もあり、多様な営みがあると思われます。
外典:シリア語バルク黙示録 第73章
1 彼がこの世にあるすべてのものを平定し、その王座に永久に平安のうちに着席されたのち、そのとき幸福が現われ、安らぎが姿を見せるであろう。2 そのときいやしは露とともに下り、病患は遠のき、煩いと悩みと嘆きは巷間を去り、歓喜が全地をあまねくかけめぐる。3 時ならずして死を迎える者はもはやなく、思いもうけぬ災難に見舞われることもない。4 批判、誹謗、もめごと、裁判沙汰、流血、色恋のもつれ、嫉妬、憎しみ、その他 このたぐいのものはすべからく一掃され、葬り去られるであろう。5 これこそはこの世に悪をはびこらせた元凶であり、これがために人生ははなはだしく乱されたのである。
6 森からは獣が出て来て人間に侍り、蛇やとかげは穴を出て童子に従うであろう。7 そのとき女はもはや産褥の苦しみを味わわず、難儀して胎の実をしぼり出すこともないであろう。
第74章
1 そのときには、収穫する者は疲れることなく、大工はことさら骨折らずとも、仕事のほうが働き人にあわせていとも軽快に運んでくれる。2 そのときは、朽つべきものの最期であり、朽ちないもののはじめだからである。3 このゆえに、さきに予告されたことはそのとき成就し、このゆえにそのときは悪人からは遠く、死すことなき者に近い。4 これが最後の黒い水につづいて現われた最後の澄み切った水(の意味するところ)である。
永久の刑罰
最後の裁きの時に、罪ありと認定されて、永遠の刑罰を受けることが「第二の死」です。
第二の死がいかに悲惨なものであるか、聖書外典には特に詳しく書かれています。 第二の死で罪人と認定されないように、私たちにはイエス・キリストの罪の許しが必要なのです。
黙示録20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
外典:第四エズラ書
7:33 そしていと高き方が、裁きの座に姿を現す。もはや憐れみはなく、寛大さは跡形もない。
34 そこには裁きあるのみである。真理は立ち、信仰は力を得る。
35 そして、裁きは執行され、報いが示される。正義は目覚め、不正は眠っていられなくなる。
36 懲らしめの穴が現れ、その反対側には安息の場所がある。また、地獄のかまどが示され、その反対側には喜びの楽園が見える。
37
そのとき、いと高き方は、揺り起こされた諸民族に告げる。『よく見て、思い知れ、あなたたちが拒んだのはだれなのか、だれに仕えなかったのか、だれの心遣いを軽んじたのかを。 38
あちらとこちらとを見比べるがよい。こちらには喜びと安らぎがあり、あちらには火と懲らしめがある』と。これが裁きの日に彼らに告げられる主の言葉である。
外典:ペテロの黙示録:五
不法者と罪人と偽善者は消え去ることのない暗黒の深淵に立たされるであろう。彼らの刑は劫火であり、天使たちが彼らの罪を告訴し、各人がその悪事に報じて永久に罰せられる場所を彼らのためにそなえるであろう。主の天使ウリエルが、洪水で滅びた罪人たちの魂と、ありとあらゆる偶像礼拝、ありとあらゆる鋳像、ありとあらゆる愛、似姿、いたるところの森や石や路傍に住み、神々と称せられているところのものにひたりきっている者たちの魂を連れて来る。彼らは(偶像と)いっしょに永遠の火にくべられるであろう。彼らぜんぶと、彼らが住んでいる場所の始末がつくと、彼らは永久に罰せられるであろう。
外典:シュビラの宣託2巻:
そこでは、それらすべてをとりまいて休むことを知らぬ火の川が流れ、不死で永遠にいます神の御使いたちが、彼らすべてを、炎を放つ鞭と火の鎖とをもって、こわれることのない枷で上からしっかりとしめつけて、この上もなく 恐ろしい仕方で罰するであろう。
それから真夜中に彼らはゲヘナに、タルタロスのたくさんのおそろしい獣のところに投げこまれるであろう。そこには無限の闇がある。彼らが心の悪いすべてのものたちに、たくさんの罰を加えたあとで、大きな川から火の車がふたたび押し寄せて彼らを取り巻くであろう。彼らにとって邪悪なわざが関心事であったからである。
天国とはどこなのか?
「では死んだら天国に行かないのか?」と思われた方もおられると思います。
死んでから行く天国と言われる場所は、私の考えではエノク書に書かれている場所ではないかと思います。
エノク書には、死人の霊魂が集められる場所について書かれています。
外典:エノク書
22:3 わたしにつきそっていた聖天使のひとり、ラファエルがいった。「これらの空洞は死人の霊魂をあつめて入れるために、正にその目的をもってつくられたのだ。人間の子らの 霊魂はすべてここにあつめられる。これは彼らが審かれる日、大いなる審判に定められた日まで、彼らをおさめておくためにつくられたのだ」
その場所は、①義人の魂のための場所 ②罪人のための場所 ③訴える者の霊のための場所 ④不義な罪人の魂のための場所の4つに分かれていると書かれています。
義人の魂の行く場所こそが天国のことだろうと私は考えています。そこには「光りかがやく水の泉」があることが語られていて、祝福された場所である様子がうかがえます。
外典:エノク書
22:8
わたしはこれらの空洞についてたずねた。「四つのうちの一つがほかと区別されているのはなぜですか」。
9
すると彼は答えた。「これらの三つは、死者の魂を区分するためにつくられた。この 一つの部分は義人の魂のためにもうけられたので、そこには光りかがやく水の泉がある。
11
こちらの方は罪人のためにつくられたもので、かれらは死んで地中に埋められたが、生きているあいだには審判が執行されなかった。彼らの霊はここに区別され、審判の大いなる日まで苦しむ。その日は刑罰の日であり、永遠に呪う者の苦しみの日、かれらの霊のうける報いの日である。主はこのところに彼らを永久に縛っておかれる。
12
この区分はまた訴える者の霊のためにつくられた。彼らは罪人らがわがもの顔にふるまった時代に殺されたのだが、その死のありさまを公に示すのである。
13 この区分は不義な罪人の魂のためにおかれている。彼らは全くの罪人であり、罪人の友であるが、彼らの霊魂は審判の日に、ほろぼされることもなく、またそこからよみがえることもない。
つまり死んでから最初に行く天国とは、復活と大いなる審判までの、一時的な待合室のような場所ではないかと思います。
その場所に行くことはたいへん素晴らしいと思いますが、本当の喜びはその後にやってくる新しい世界、つまり新天新地の時代に、復活した肉体を持って、祝福された土地で、神と共に生きることではないかと考えています。
リトルシーズンのSLSでは、「千年王国に新天新地が実現していました」と主張する人が増えていますが、私はこの考えに賛同していません。
新天新地は、最後の裁きの後にやってくる世界だと考えています。
最後の裁きには、「死も黄泉も死人を出す」という出来事があり、さらに「死人の復活」があるというのが、聖書や聖書外典が語っていることだと考えています。
新天新地はその後に実現する世界であり、千年王国の時代ではないです。
































