研究ノート②神の怒りは再び地上を破壊する

これから「神の怒りは再び地上を破壊する」ということについて、今までなんとなく考えていたことを明確にしたいと思います。

質問をしますので、よかったらぜひ考えてみてください。

【世の終わりについての質問】
ソドムとゴモラ、そしてイエスの時代の世界を滅ぼした神は、現在の邪悪で不信仰な時代を、そのままにして、新天新地を創造されるのでしょうか?

つまり、現在この世界にある、軍事施設やトンネル、児童虐待の隠れ家、山積みの廃棄物やゴミ、人間や生き物を滅ぼす有害物質などをそのままにして、新天新地へと移行するのでしょうか?

皆様はどのように考えられるでしょうか?

私は「神はそのままにされない」と考えています。

現在の世界は、古代の世界をはるかに上回る邪悪な集団がいて、彼らのための施設や兵器が世界中に点在し、さらに人々の間に不道徳や性的不品行がはびこり、偶像礼拝者も非常に多いです。それらをそのままにして新天新地に移行するというのは、決してないだろうと考えています。

イスラエルの救いの前に神の御怒りの日が来る

前回の研究ノート①で紹介した、「ゼカリヤ書14章の仮庵の祭りは実現しました!」と主張するSLSの人たちは、イスラエルの残りの者が帰還したと考えているので、「すべての災害は終わっている」「あとはゴグマゴグの戦いのみで、新天新地を待つだけ」という考えです。

しかし、イスラエルの残りの者の帰還がまだであるなら、以下の聖句はこれから起こることなのです。

イザヤ書10章
10:20 その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。
10:21 残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。
10:22 たとえ、あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、その中の残りの者だけが帰って来る。壊滅は定められ、義があふれようとしている。
10:23 すでに定められた全滅を、万軍の神、主は、全地のただ中で起こそうとしておられる。

エレミヤ書30章
30:23 見よ、主の怒りの嵐が吹く。嵐は荒れ狂い、神に逆らう者の頭上に吹き荒れる
30:24 主の激しい怒りは、思い定められたことを成し遂げるまではやまない。終わりの日に、あなたたちはこのことを悟る。
31:1 そのときには、と主は言われる。わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。

ミカ書
7:11 あなたの城壁を再建する日/それは、国境の広げられる日だ。
7:12 その日、人々はあなたのもとに来る/アッシリアからエジプトの町々まで/エジプトからユーフラテスまで/海から海、山から山まで。
7:13 しかし、大地は荒れ果てる/そこに住む者の行いの実によって。

ヨエル書
3:20 しかし、ユダは永遠に、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。
3:21 わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。主はシオンに住む。

特にイスラエルが救われる時の聖句には、「終わりの日」と言う言葉が添えられてて、最後に起こる出来事であることを明確に示唆しています。

イスラエルは「終わりの日」に救われる

ミカ書
4:1 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。
4:2 多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。

ホセア書
3:5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

エレミヤ書
30:24主の燃える怒りは、去ることはない。主が心の思うところを行って、成し遂げるまでは。終わりの日に、あなたがたはそれを悟る。 
31:1 そのときには、と主は言われる。わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。

現在SLSには、旧約聖書に”終わりの日”と書かれている部分は、「千年王国の始まる前の、大災害の日を意味しています。」と強く主張している人がいます。

つまりそれは、イエスが「私はすぐに来る」と言われたことは、「文字通り理解しましょう」と言いながら、旧約聖書に書かれている「終わりの日」は、「文字通り読んではいけません」と言う主張で、私はこのような主張にとても驚いています。

キリストが再臨するときに人々が泣く

なぜSLSが「旧約聖書の預言もすでに終わっている」と考えるのか、その理由の一つは、メシア(キリスト)の再臨の時に、人々が嘆き悲しんだり泣いたりすると述べている聖句があるためではないかと思っています。

この聖句は聖書全体で3つありますが、特に黙示録に書かれているため、千年王国が始まる前にキリストが再臨されたときに、この3つの聖句がすべて成就したと考える人が多いようです。

マタイ 24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。

黙示録 1:7 見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ

ゼカリヤ書
12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く
12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。
12:12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

しかしながら世の終わりにも、キリストが再び来られて、それを見た人々が泣く様子が「ペテロの黙示録」という書物に書かれています。

特にゼカリヤ書12章では、イスラエル民族が集まっていて、氏族ごとに嘆く様子が描写されていますので、これからやってくる世の終わりに起こる出来事ではないかと考えています。

ペテロの黙示録に書かれている世の終わり

ペテロの黙示録は、聖書外典の扱いとなっているので、聖書には含まれていません。
現在日本語で読むことができるのは、教文館出版部発行の『聖書外典偽典〈別巻 〔二〕〉補遺 』教文館 ペテロの黙示録(村岡崇光訳)があります。とても高価な本なので、私は図書館で借りて読みました。英語版はこちらから読むことができます。

四章~六章の全文を下に書き出しましています。

四章には「終わりの日」という言葉があり、文字通りに読むと最後の時を指していると考えられます。

また、「彼は黄泉(ゲヘナ)に、その鉄のかんぬきをはずして、なかにいるものを全部返すように命ぜられるであろう。」とあり、これは黙示録20:13の「死も黄泉もその中にいる死人を出し」と同じことを語っています。つまり、最後の裁きの時の様子について述べられています。千年王国が始まる前ではありません。

さらに、「彼が世界とそのなかにある万物を創造されたときのようになるであろう。… 終わりの日にもそれと同じである。」とあり、世界の終わりは創造の時と同じであると語られていて、この文章の著者が、真の世界の終わりについて書くことを意図していることがわかります。

聖書外典偽典〈別巻 〔二〕〉補遺 :ペテロの黙示録(村岡崇光訳)218ページより
( )に書かれている言葉は、訳者の村岡崇光氏により付け加えられてる文字です。私が付け加えたものではありません。



さて、主の日、主の判決のくだる日が到来する終わりの日に、彼らがどのようなめにあうかを見るがよい。 (その日には)永久に生きたもうわたしの父のみ前に、東西から全人類が集って来る。

彼は黄泉(ゲヘナ)に、その鉄のかんぬきをはずして、なかにいるものを全部返すように命ぜられるであろう。彼は人間が現われることを望んで、動物と鳥にも食べた肉をすべて返すように命ぜられる。

主のもので滅びるものはなにひとつない。万物が彼のものである以上、彼に不可能なことはひとつもない。すべては判決の日、さばきの日に主が言葉を発せられると同時に(起こる)。

なにもかも、彼が世界とそのなかにある万物を創造されたときのようになるであろう。 (あのとき、)彼が命ぜられると、すべてが成った。終わりの日にもそれと同じである。主にとっては一切が可能だからである。

それゆえ彼は聖書のなかで言っておられる――『人の子よ、おのおのの骨について預言せよ。また骨に向かって言え骨よ、他の骨のところへ(行って)、神経と筋と肉と皮膚と、その中に生えた毛とをもって器官(をつくれ)。』魂と霊は主の命令に従って、大いなるウリエルが授けるであろう。主はさばきの日の、死者の復活を司ることを、彼にゆだねられたからである。

地に蒔かれた種子を見て知れ。人はまるでこれをひからびた、魂の通っていないものであるかのようにして蒔きつける。しかし、(ひとたび)地に(落ちると)、それは生命を得て実を結び、地は貯金してあったもののようにこれを(ふやして)返す。

種子として地に播かれて(ひとたび)死に、それから生命を得て生きかえるこのものは人である。彼を信じ、彼に選ばれている者たち、彼らのために主が(すべてを)なさった者たちを、判決の日に復活させられるのは、なおさらのことではなかろうか。地は判決の日にすべてのものを返すであろう。そのときそれ(地)も天とともにさばかれることになっているからである。

そして五章は、神の厳しいさばきが全世界に起こる様子が述べられています。その様子はすさまじい破壊であることがわかります。また「海も火となる」とあり、海が消える可能性を示唆する言葉があります。

さらに「大空は水不足のためにあとかたもなく消え去る」と書かれています。大空とは天蓋(firmament)のことですが、天蓋が消えることが描写されています。

特にイスラエルが救われる時には、天蓋が消える様子がイザヤ書に書かれています。現在フラットアースでは、まだ天蓋がある状態ですので、この事実だけでもイスラエルの救いはまだ来ていないのです。

イザヤ書
51:3 主はシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、その荒野をエデンのように、そのさばくを主の園のようにされる。こうして、その中に喜びと楽しみとがあり、感謝と歌の声とがある。
51:4 わが民よ、わたしに聞け、わが国びとよ、わたしに耳を傾けよ。律法はわたしから出、わが道はもろもろの民の光となる。
51:5 わが義はすみやかに近づき、わが救は出て行った。わが腕はもろもろの民を治める。海沿いの国々はわたしを待ち望み、わが腕に寄り頼む。
51:6 目をあげて天を見、また下なる地を見よ。天は煙のように消え、地は衣のようにふるび、その中に住む者は、ぶよのように死ぬ。しかし、わが救はとこしえにながらえ、わが義はくじけることがない。

ペテロの黙示録:五章
主に対する信仰に背き、罪を犯した者たちに対するさばきの日になると、火の滝が溢れ、暗黒と闇とが現われて、全世界をおおいかくし、水も変じて火の石炭となり、そのなかにあるものはなにもかも燃え、海も火となる

空の下には消えることのないはげしい火が(燃え)、怒りのさばきを行なうべく流れる。星も炎となってあとかたもなく溶け去り、大空は水不足のためにあとかたもなく消え去る。空中から稲妻は姿を消し、そのまじないによって世界をおどす。死者の霊はそれに似たものとなり、主の命令によって火と変ずる。

そののち被造物は、ことごとく溶け去り、東のほうにいる人々は西のほうに逃げ、(西のほうにいる人々は)東に逃げ、南にいる者たちは北に逃げ、(北にいる)者たちは南に(逃げ)、いたるところで恐しい火の怒りが彼らにおそいかかる。

消えることのない炎に追いたてられて彼らは、怒りのさばきを受けるべく、消えることのない火の流れが、めらめらと燃えさかる火の川のなかへ導き入れられる。 ぐつぐつと煮えたぎるその波がわかれると、人の子らはしきりと歯ぎしりするであろう。

続く六章は、キリストが雲に乗ってやって来る様子と、諸民族がそれを見て泣く様子が書かれています。私はこの出来事が、前述したゼカリヤ書14:12ではないかと考えています。
その後、善人と悪人が分けられて、善人には救いがあることが述べられています。
そして悪人たちが「永久に罰せられる」ことが書かれていますので、このことからも、最後の裁きがある時代について語られている文章だと思われます。

ペテロの黙示録:六章
彼らはみなわたしが永遠の輝かしい雲に乗ってやって来るのを見るであろう。 同行の主の天使たちは天のわたしの父の右に、わたしの栄光の玉座に坐るであろう。 彼はわたしの頭上に冠をおいてくださるであろう。そのとき、諸民族はこれを見てそれぞれ泣くであろう。

彼(わたしの父)は、火の川のなかを通るように彼らに命ぜられるであろう。彼らのそれぞれの所業が、彼らひとりひとりの前におかれる。各人その所業に応じて(報いられるであろう)。しかし、善を行なった選民たちはわたしのところに来るであろう。彼らは食い尽くす火も、死も見ることはない

不法者と罪人と偽善者は、消え去ることのない暗黒の深淵に立たされるであろう。彼らの刑は劫火であり、天使たちが彼らの罪を告訴し、各人がその悪事に報じて永久に罰せられる場所を、彼らのためにそなえるであろう。

主の天使ウリエルが、洪水で滅びた罪人たちの魂と、ありとあらゆる偶像礼拝、ありとあらゆる鋳像、ありとあらゆる愛、似姿、いたるところの森や石や路傍に住み、神々と称せられているところのものにひたりきっている者たちの魂を連れて来る。

彼らは(偶像と)いっしょに永遠の火にくべられるであろう。彼らぜんぶと、彼らが住んでいる場所の始末がつくと、彼らは永久に罰せられるであろう。

ペテロの黙示録は、初期のキリスト教で広く読まれていて、教会で朗読されていた時代もあったそうです。

シビュラの託宣に書かれている世の終わり

シビュラの託宣は、ユダヤ教およびキリスト教の黙示文学・予言詩集です。シビュラの託宣は、教文館発行の『聖書外典偽典3旧約偽典Ⅰ』シビュラの託宣(柴田 有訳)に含まれています。

シビュラの託宣がとても興味深いと思ったのは、千年王国について書かれていると思われる箇所があり、その次に世の終わりについて書かれていると思われる箇所がありました。

パウロは「競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい(Ⅰコリ 9:24)」と語りましたが、シビュラの託宣第二巻の始まりには、「競技を闘いつつある人々に・・・・朽ちることのない褒美をお与えになるであろう」とあり、この部分が、パウロの時代の千年王国について書かれているのではないかと思いました。

『聖書外典偽典3旧約偽典Ⅰ』シビュラの託宣(柴田 有訳)326ページより
( )に書かれている言葉は、訳者により付け加えられてる文字です。

第二巻(三四)
そしてそのとき、神は一つの大きなしるしをなされるであろう。すなわち、光り輝く冠によく似ている一 つの星が輝く空から、少なからぬ日数の間、きらきらと、すべてを照らして輝くであろう。そのときそれは 天から、競技を闘いつつある人々に(勝利の)冠と(競技の)規定とを示すであろう。また、天の都への凱旋入城を祝う大行進があるであろう。

それはすべての人々に対して、(開かれた)全世界的なものであり、不死の名声をそなえている。またそのとき、すべての民はみごとな勝利(に与えられる) 、不死の褒美を目指して技を競うであろう

そこではだれも恥知らずに、銀で冠を買うことはできない。というのは、聖なるキリストが、この人たちに対し判決を下し、ふさわしい人々には冠を与え、殉教者たち、死に至るまで競技を行なった人々には、不死の賞品をお与えになるからである

また、みごとに走った無垢の人々、正しいことを行なうすべての人々、聖く生き、ひとりの神を知っている、外国に属する諸国民に、彼は朽ちることのない褒美をお与えになるであろう

結婚を愛し、姦淫を慎しむ人々、その人たちにも彼は豊かな賜物、永遠の希望をお与えになるであろう。というのは、人々の魂は皆、神の賜物である。そして、それをどんなものによってで あれ汚して苦しめることは、人間には許されていない。

これが競技であり、これが褒美であり、これが賞品である。これが生命の門であり、不死に入る道である。この道を天の神がもっとも正しい人々のために、勝利の褒美としてお作りになった。栄光の中に冠をうける人々は、この道を通って進むであろう。

そして次に、「最後の世代の大いに惨めな人々」という言葉があり、終わりの時代について述べられています。
また「女性が産まなくなった」と書かれていて、現在不妊治療している女性が非常に多く、子を持たない選択をする女性も増えている時代ですので、これからの時代を指していると感じました。

途中に意味不明な部分もありますが、後半は世界が非常に激しく滅ぼされることを語っています。そしてその後、神のさばきがあることを語っています。

第二巻(一五四)
しかし、全世界に対してあのしるしが現われるとき、子供たちは生まれたときから白髪となり、飢饉、 疫病、戦争が人々の患難として(おこり)、季節の転換、歎き、たくさんの涙があろう。

ああ、いかにたく さんの人々の子供たちが国々でいたましく歎きながら両親を食べることか。彼らは、外套にその肉を包み、 人々の母なる大地に葬り、血と塵とでそれを混ぜ合わせている。

おお、最後の世代の大いに惨めな人々、 悪業にふける恐るべき未熟者たちは、女性たちが産まなくなったとき、人々が刈り入れられることになるということを悟っていない

しかし、予言者たちに代わって偽ものたちが地上にあらわれ予言をするとき、 刈り集めの時は近い。それからベリアルが来、人々に向かってたくさんのしるしを行なうであろう。

そのとき、選ばれた、敬虔な聖徒たちの(間に) 混乱がおこり、また彼らおよびヘブル人に対する略奪がおころう。

10族から成る民が東から来て、アッシリアの技がほろぼした、ヘブル人に属する一つの民を探し求めるとき、恐ろしい怒りがヘブル人のところに来るであろう。異邦人たちはそれに続いてほろぼされるであろう。

最後に、選ばれた敬虔なヘブル人たちがはなはだ強い人々をふたたび治め、彼らを以前同様、奴隷とするであろう。力が(彼らから)去らないからである。

天空に住み、すべてをみそなわすいと高きかたは、人々の上に眠りをまきちらし、その瞼をおおわれるであろう。

おお、主がやって来て、目をさまし、眠らぬ臉でいつも(主を)待っており、横にならずにいるのを見られる従者たちは幸いだ。彼の来るのは明け方かも、午後かも、昼日中かもしれない。彼は確かにやって来て、わたしが述べるようになるだろう。

星にみちる天から、昼日中にすべての星が二つの光体ともども、時がすばやく過ぎるままに、すべての人々にあらわれるとき、彼は人々のところに来るであろう。

そしてそのとき、テンベびとは天から、天の馬車を駆って来て、地上に下り、死につつある生命の三つのしるしを、全宇宙に示すであろう。

ああ、その日に胎児をかかえているのを見出される女たち、乳児に乳を与えている女たち、波の上を航海しているものたちはわざわいだ。その日を見るものたちはわざわいだ。というのは、黒い霧が無限の宇宙を、東も西も、南も北もおおうであろうからである。

そしてそのとき、燃える火の大きな川が天から流れ下り、すべての場所を、大地も大海原も、うす明るい海も、潮も川も、もむごい黄泉も、天軸も、すべてほろぼすであろう

天の光体は二つに合わさり、はなはだ荒れた形となるであろう。 すべての星は天から海におちるであろう。また、すべての人々は恐るべき原野で、川と硫黄と火の流れとによって焼かれて、歯ぎしりをするであろう。そしてすべてのものがおおうであろう

そのときには世のあらゆる要素が、空気も大地も海も光も天も日も夜も、なくなろう。もはや 大きな鳥が空を飛び廻ることはなく、泳ぐ動物が海を泳ぐこともまったくなく、船荷を積んだ舟が彼の上を航海することもなく、牛どもが先立って土地をすき返すこともなく、風によっておこる木々のざわめきもない。 万物はいっしょに固まって一つのものとなり、それから清められるために分かれるであろう

しかし、不死なる神の不滅の使者たち、バラキエル、ラミエル、ウリエル、サミエル、およびアザエル、 彼らはだれかが以前に行なった悪事をよく知っており、人々の魂を雲のような闇から、さばきのためにすべて、不死なる偉大な神のさばきの座の前に連れて行くであろう

ご紹介した「ペテロの黙示録」や「シビュラの託宣」は聖書外典ですので、絶対に正しいとは言えないと思います。しかしこれらは古代の人たちが信じていた世界観であり、またその文献が現代まで残されていることに、意味があるのではないかと思っています。

パウロは「主の日」と言っている箇所もありますが、「キリスト・イエスの日(ピリピ1:6)」「キリストの日(ピリピ2:14)」「主イエス・キリストの日(第一コリ1:8)」という言葉を使っています。

それは、千年王国が始まる前の大災害と、「主の日」の大災害とは、別のイベントであるため、あえて表現を変えているのではないかと考えています。

最後の時代の終わりに、神の激しい御怒りがある可能性は、私がなんとなく考えていたことでしたが、考えがまとまらず、明言することを避けていました。

しかし今のSLSのように、「黙示録の災害はすべて終わっている」と能天気になっていては、10人の乙女のたとえ話に登場する、灯火だけを用意し予備の油を持っていなかった、5人の愚かな乙女のようになってしまうのではないかという気持ちになりました。