研究ノート① 新天新地になぜ海は消えるのか?

これから3回にわたって、リトルシーズンや世の終わりについて、研究ノートを公開しようと思っています。ほぼ文章のみになりますのでご了承ください。
さて「千年王国は終わっている説」ですが、現在はSLS(サタンの短い季節=Satan’s Little Season )内で議論がどんどんと進み、正直なところ、行き過ぎていると感じています。
例えば、「旧約聖書のほとんどの預言はすでに終わっている」や「新天新地も実現した」や「ゴグマゴグの戦いもすでに終わっている」という考えが広まっています。
私は「聖書と合致しない解釈、間違っていると思われる情報、実現した可能性があると確証が得られない情報などは、採用しないし人に伝えたくない」と考えています。
ですので、このサイトで私が紹介している内容は、私が個人的に「この考えや証拠は、聖書の記述や歴史的観点から、採用する値打ちがある」と確信を得ているものだけを取り扱っていますので、その点をご理解ください。
特に海外のSLSの情報を得ている人が私のサイトを読むと、「多くのSLSと言ってることが違うじゃん」と感じる部分があると思いますが、それは私が海外のSLSに、無理に歩調を合わせたり、理由もなく同調していないからです。
ゼカリヤ書14章の仮庵の祭りは本当に実現していたのか?
特に中でも、私が絶対に採用していない考えは、「千年王国の時代には、ゼカリヤ書14章16節に書かれているように、神に従う世界中の国が、エルサレムに集まって、仮庵の祭りを祝っていた」という考えです。
この考えは多くのSLSグループ内で、もはや当然の事実のように話されていることですが、私はこれが実現したという確証がまったくありません。
その理由を挙げてみます。
- 中世に世界中の人々が一堂に集まったという伝説や物語は、聞いたことがない。
- 仮庵の祭りは、祭りの開始が決まっている祭りなので、それに合わせて集まらなければいけないため、世界共通のヘブライ暦があったはずであるが、その証拠はどこにもない。
- ヘブライ文化の影響を受けていない民族の暦で、仮庵の祭りの日付を記録したものなど、見たことも聞いたこともない。
- 仮庵の祭りを描いた絵画や記録が、大聖堂や千年王国の建物で発見されたという話は、どこにも聞いたことがない。
- 世界中の人々が千年もの間、北の聖地に集まってヘブライの祭りを祝っていなら、中世の時代からパレスチナにイスラエルが存在していたのは、どのようにして可能だったのか説明できない。
- AIの聖人伝に書かれている巡礼は、①不定期な巡礼である ②巡礼から帰ってこない人がいた ③国を挙げての巡礼なのに個人の意思で巡礼に参加していることが書かれている、という理由で、仮庵の祭りのための巡礼とは全く考えられない。
上記の理由で、現在当然のようにSLSの間で信じられている「ゼカリヤ書14章が実現した」という主張を、私は一切取り入れていません。
イスラエルの残りの者の帰還が終わっているのか?
「ゼカリヤ書14章が実現した」と主張することで、世界の終わりについての考えがまったく違ってきますので、これはとても重要な論点なのです。
もしエルサレムに毎年世界中の人が集まって、千年もの間、エルサレムで仮庵の祭りを祝っていたことが実現していたなら、「エルサレムはすでに整えられた場所となっている」はずです。
そうすると、イスラエルに帰還することが預言されている「イスラエルの残りの者の帰還」も、すでに終わっていることになります。
なぜなら、「イスラエルの残りの者は廃墟に帰還する」ことが、繰り返し預言されているからです。
エレミヤ書30:18 主はこう言われる。見よ、わたしはヤコブの天幕の繁栄を回復しその住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられ城郭はあるべき姿に再建される。19 そこから感謝の歌と楽を奏する者の音が聞こえる。わたしが彼らを増やす。数が減ることはない。わたしが彼らに栄光を与え、侮られることはない。
エレミヤ書33:10 主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレムのちまたに、 11 再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、および『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。
エレミヤ書33:12 万軍の主はこう言われる、荒れて、人もおらず獣もいないこの所と、そのすべての町々に再びその群れを伏させる牧者のすまいがあるようになる・・・14 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。
イザヤ書49:8 主はこう言われる、「わたしは恵みの時に、あなたに答え、救の日にあなたを助けた。わたしはあなたを守り、あなたを与えて民の契約とし、国を興し、荒れすたれた地を嗣業として継がせる。
イザヤ書52:8 聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、共に喜び歌っている。彼らは目と目と相合わせて、主がシオンに帰られるのを見るからだ。9 エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。
イザヤ書54:3 あなたは右に左にひろがり、あなたの子孫はもろもろの国を獲、荒れすたれた町々をも住民で満たすからだ。4 恐れてはならない。あなたは恥じることがない。あわてふためいてはならない。あなたは、はずかしめられることがない。あなたは若い時の恥を忘れ、寡婦であった時のはずかしめを、再び思い出すことがない。5 あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。
アモス書14 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒された町を建て直して住み、ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み、園を造って、実りを食べる。15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。わたしが与えた地から、再び彼らが引き抜かれることは決してないと、あなたの神なる主は言われる。
現在のSLSでは、これらの聖句が「すでに実現した」ことになっています。
エゼキエル38章の戦争は終わっているのか?
さらに 千年王国の期間中に戦争が起こるはずはありませんので、もしイスラエルの残りの者が帰還したというのなら、エゼキエル38章の戦争も「千年王国が始まる前に終了している」という理論になってしまいます。
最近では「マッド・フラッドはエゼキエル戦争であった」という主張も登場していますが、とにかく「エゼキエル戦争はすでに終わっている」と考える人が非常に多いのです。
エゼキエル戦争について書かれているエゼキエル38章から続く39章では、イスラエルが救われている様子や、残りの者が帰還していることが書かれています。
エゼキエル書39:27 わたしが彼らを諸国の民の間から帰らせ、彼らの敵の地から集めるとき、多くの国々が見ている前で、わたしは彼らのうちにわたしが聖であることを示す。28
わたしは彼らを国々に引いて行かせたが、また彼らを彼らの地に集め、もう国々には一人も残さない。このとき彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知る。
29
わたしは二度と、わたしの顔を彼らから隠すことはない。わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐからである。
「ゼカリヤ書14章の仮庵の祭りは実現している」と主張する場合、「エゼキエル戦争も終わっている」と主張していることになるのです。
救われたイスラエルの残りの者はどこにいるのか?
イザヤ書60章から、イスラエルの救いが書かれていますが、特に61章4節には、シオン(エルサレム)が再建されることが述べられています。
イザヤ書61:4 彼らは昔の廃墟を建て直し、かつての荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。
そしてイスラエルと「永遠の契約を結ぶ」ことが語られ、彼らは諸国の民の間で「主の祝福を受けた一族である」と知られることが語られています。
イザヤ書61:8 「まことに、わたしは主、公正を愛し、不法な略奪を憎む。わたしは真実をもって彼らのわざに報い、永遠の契約を彼らと結ぶ 61:9 彼らの子孫は国々のうちで、末裔は諸国の民のうちで知れ渡る。彼らを見る者はみな、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。
「これらすべての聖句が千年王国の期間中に実現したのだ!!!」というのが、今のSLSの主流の主張なのです。
しかし、諸国民の間で「祝福された民族である」はずのイスラエル民族とは、一体どこに存在しているのでしょうか?
中世の歴史では、イスラエル民族は「キリストを十字架につけた民族」として、多くの地域で特別税を課され、 土地所有や職業に制限があり、「差別されていた民族」としての伝承や物語ばかりが存在します。
祝福された民族として、人々に受け入れられていたという伝説や物語などは、私自身は聞いたことがありません。
「新しい契約」「永遠の契約」は地域限定契約なのか?
また中には、「帰還したイスラエルはイエスの地(Terra de Iesso)に隠されている!!!」と主張する人たちがいます。
そうすると、先ほど紹介したイザヤ61:8に書かれている「永遠の契約」とは、「一部の地域に限定された地域限定契約」と考えなければなりません。
またエレミヤ書31章には、身分の低い者から高い者まで神を知るようになる「新しい契約」について書かれています。
エレミヤ書31:33
これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34
彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。
千年王国が終わり、神を知らない人だらけの世界になりました。
つまり「新しい契約」も、千年王国やイエスの地に限定された、「地域限定契約」や「期間限定契約」と考えなければなりません。
本当にこの解釈が正しいのでしょうか?
またイスラエルの救いは、「地の果てにまで布告され、地上のすべての民の中で誉を与え名をあげさせる」と書かれています。
イザヤ書61:11見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。
ゼパニヤ書3:20そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのとき、わたしはお前たちを集める。わたしが、お前たちの目の前で、お前たちの繁栄を回復するとき、わたしは、地上のすべての民の中で、お前たちに誉れを与え、名をあげさせると、主は言われる。
旧約聖書に繰り返し書かれているイスラエルの残りの者の救いの預言が、「隠れた場所でこっそり実現している」とは、私はとても考えられないです。
私はイエスの地に、エルサレムがあると考えていますが、そこにイスラエルの残りの者が帰還しているとは考えていません。
ですので繰り返しますが、私は海外のSLSとは、考えが違っていることをご理解ください。
そしてこれから「 イスラエルの残りの者の帰還はまだ実現していない 」という考えで、世の終わりについて考えていきたいと思います。
新天新地が始まるときに海はなぜ消えるのか?
黙示録 21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
なぜ新天新地になると海がなくなるのでしょうか?
これについては、「もはや海がないとは、比喩的な表現であり、文字通りに受け取る必要はない」と考える人が多いですが、とても興味深い意見を知ったのでご紹介します。
水は記憶を保持する
「水は記憶する」と言うのは、よくスピリチャルの世界で言われていることですが、江本勝さんという人の実験で確認されています。
水に向かって「 愛してる」「ありがとう」などの、感謝や優しい言葉をかけて、その水を氷の結晶にすると、とても美しい結晶を作ります。
逆に、「殺すぞ」「馬鹿者」などの呪いの言葉をかけると、結晶がは壊れて、歪んだ形になることが確認されたそうです。
水が人の感情や言葉を記憶して、それに呼応して結晶の形を変えるのです。

また下の動画では、30秒ほど水に何かの形を見せると、水がその形を記憶して、凍らせたときに形を再現している様子が紹介されています。
https://www.youtube.com/shorts/SF5SQFfhdsg
涙を流すとき記憶や心にたまっていた感情を流し出す
思いっきり涙を流して、心が楽になったという経験をしたことがある方も多いと思います。私たちが涙という「水」を流すとき、それは単なる感情表現ということだけではなく、涙は私たちの心と身体にとって、とても大切なデトックス作用があります。
悲しみの涙を流すときは、心の苦しみや痛みを涙の水に含ませて、体から押し出し、気持ちをリセットして自然な心の回復ができると言われます。
また喜びや感動で涙が出ることがありますが、例えば夢や目標が叶った瞬間、深い愛情や感謝を感じた時、感動的な芸術や景色に触れた時、私たちは涙を流します。
この涙は、それまで葛藤していた心の緊張をときほぐし、ストレスを洗い流す効果があると言われています。
涙という「水」の中に、様々な記憶が含まれていて、それを体から押し出して、心をリフレッシュするのです。
そして海もまた、天地創造からの人間が犯した罪の記憶や、神に反逆してきた悪い歴史の記憶を持っているのです。
海と共に、人々が神に反逆した記憶が消える
新天新地が始まるときに、海が消えるのは、「かつての悪い記憶や罪の記憶は、すべて海と共に消える」ことが預言されているのではないかと考えています。
人間が長年犯し続けた罪も、海と共に消して、もはや思い出すことがないようにしてくださるのではないかと考えています。
ミカ書7:18 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のために、とがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を、海の深みに投げ入れ、20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。
エレミヤ書31:34 彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。
イザヤ書 65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。
「第三回 イエスの地:TERRE DE IESSO への道」で、 「海の底を歩いて帰還する」聖句を紹介しています。
イスラエルの残りの者たちが帰還する時に、物理的に海が消えている様子が、繰り返し旧約聖書に描写されていますが、その時彼らの罪が許されると考えています。
海外のSLSの間では「それはすでに終わっている」という考えですが、私はイスラエルの帰還がまだ実現しておらず、世界の終わり、つまり新天新地が始まる頃に、これらの言葉が成就するのではないかと考えています。
そして新天新地になると、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる(黙21:4)」時代になり、「生ける神の水が流れる時代」になると考えています。






























