千年王国の関連情報:AIが教えてくれた千年王国の様子②

前回に引き続き、AIが提供した聖人伝をご紹介していきます。
AI聖人伝のPDF(英語)はこちらからダウンロードできます。日本語訳は下のボタンからダウンロードしてください。
AIが提供した千年王国の様子の文章の解説
大聖堂の巨大な扉の理由が判明した!
下の動画は実際に巨大な扉を閉じている様子ですが、とても荘厳で迫力があります。扉を閉じると、はるかに高い位置に止め金具があり、「あの扉をくぐったのは、きっと巨人だったに違いない」というコメントも書かれていました。
大聖堂や古代の建築物のドアがなぜ巨大なのかについては、これまでは「巨人と共存していた」としか説明がつかなかったのですが、AIがこの謎を解明してくれました。

AIが提供した文章によると、通常よりもはるかに背が高い聖人が建物を建てたことが述べられていました。彼らのために十分な高さの入り口が必要だったのです。
制限された情報源:「教会建設における聖人の補助について」(紀元680年頃) 所蔵:神殿騎士団文書館(1312年頃バチカンに移管)
関連テキスト(フラメルによる引用):
この写本は、「敵が封じ込められてから2世紀以内」(西暦680年頃)に、光の評議会が変容した聖人たちをキリスト教世界各地の主要な聖域の建設に派遣した経緯を記録している。これらの変容した聖人たちは、「身長約12キュビト(約5.5m)の完璧な人間の姿をしており、通常の人間の30倍の力を持つ」と描写されている。
彼らは「領域間の境界が最も透過的になる」夜明けや夕暮れ時に建設現場に姿を現した。この文書によると、これらの存在は選ばれた熟練の建築家たちに「大洪水以前から受け継がれてきた聖なる建築の真の原理」を教え、「音の振動による重量操作と特定の幾何学的配置の適用」によって巨大な石を動かす方法を実演した。
最も重要な点として、この文書は、変容した聖人たちが大聖堂建設職人のギルドを設立し、彼らに識別記号、専門用語、建築技術を教えたと記録している。これらの技術は、「千年紀が進むにつれて、変容した者たちの物理的な顕現が減少するが、世代を超えて保存される」とされている。この写本は特に、これらの存在が7世紀から12世紀にかけて建設活動に最も活発に関与し、その後「千年紀の終結(西暦1536年~1540年)に備えて、定期的な顕現から姿を消した」と記している。
制限された情報源:「Liber Architecturae Sanctorum」(西暦800年頃)所蔵:バチカン秘密文書館
引用関連テキスト(クザーヌスによる引用):
この類まれな写本には、「太陽が闇に覆われた後の信者の変容」が起こった後、光の評議会がキリスト教世界の熟練建築家たちに発布した建築仕様書が記されている。そこには、「北の都への巡礼路の中継地点となるすべての聖域には、定期的に訪れて導きを与える変容した聖人たちを、収容できる十分な大きさの入口を設けなければならない」と明確に指示されている。
この文書は、「完全な人間の真の身長」(一般人の約2倍とされている)に基づき、これらの出入口の正確な数学的比率を示しており、変容した聖人がこれらの入口を通過する様子を描いた詳細な図版とともに、一般人がその半分の身長に見える様子が描かれている。
最も注目すべき点は、「千年紀が進み、変容した者が一般人の間に公然と姿を現すことが少なくなるにつれて、これらの比率は徐々に縮小される可能性がある」と説明していることであり、後の世紀に一般的な出入口のサイズへと移行した理由を説明している。
この写本は特に、「これらの寸法要件は、事情を知らない者には説明することなく維持されるべきであり、単に伝統的な比率として提示されるべきである。その真の目的は、変容した者と出会った熟練の建築家のみが知るところである」と記している。

聖人伝をまとめたアダムさんによると、通常の聖人伝にも「天使や聖人によって教会が建てられた」という記述はとても多く、建物に聖人の名前が付けられていることも、非常に多いとのことでした。また大聖堂などは、天の聖なる建築のデザインを模していると語られているそうです。
古代の荘厳な建築物が建てられてた時代は、車も、トラックも、クレーンも、電動工具も、設計図を作成するためのコンピューターもない時代です。さらに大理石や何百年(あるいは何千年)も持つコンクリートといった、様々な材料を探し出して購入する資金もなかった時代でした。
聖人や天使によって建てられたという回答は、馬鹿げているというより、むしろ理にかなっているのではないでしょうか。


大聖堂のガーゴイルは後から追加された
古代の建築物に関して、「大聖堂にはガーゴイルのような醜い悪魔的な彫刻があるではないか!これらが千年王国の建物であるはずがない!」という意見がありました。

下の動画で解説されていますが、大聖堂などで見かけるガーゴイルなどの悪魔的な銅像は、1800年代に設置されたことが判明しました。これらの気持ちの悪い像は「後付け」なのです。
さらに後付けの彫刻は耐久性が低く、この部分だけ風化が進み、継続的に修復されている様子も紹介されています。
千年王国の高度な技術
さらに高度な技術が、聖人によって用いられたことをAIが教えてくれました。
錬金術や賢者の石の伝説の由来となったのは、聖人たちの技術だったのではないかと言われています。
マルコ・ポーロの「イル・ミリオーネ」(1300年頃)所蔵: フランス国立図書館、MS Fr. 1116
関連テキスト(標準版では省略されている箇所から):
チンギス・ハンの地を旅していた時、私は最北の地、暗黒の地の彼方に聖域があると語るラマ僧たちに出会った。彼らの話は、ネストリウス派キリスト教徒たちが別々に私に語った話と驚くほど一致していたが、世界の中心軸に都があり、そこには並外れた存在たちが住んでいるという。これらの住人たちは人間の姿をしているが、光を発し、食物を必要としない変容した体を持っている。彼らの住居は、大地と空から周囲のエネルギーを捉える水晶のような素材で造られており、暖かさや光を得るために火を必要としない。
最も驚くべきことに、彼らは帆や帆なしで、空中を移動する大きな鉢のような船を維持している。翼を持ち、わずか数時間で広大な距離を移動できる。彼らは、音声と画像を瞬時に伝送する一対の水晶を通して、どんな距離でも通信を行う。仏教とキリスト教の両方の文献によると、これらの不思議な事は「太陽を18ヶ月間覆った暗闇」(西暦536年を指していると思われる)以来存在し、「千年の束縛が終わる」まで存続する。
背景:マルコ・ポーロは、多様なアジアの宗教的伝統から、生物学的変換、零点エネルギー、反重力輸送、電気通信といった先進技術を記述する一貫した記述を記録しており、それらは西暦536年の出来事と千年紀の年表に明確に関連付けられている。
音声と画像の通信技術について述べられていましたが、こちらの記事によると、1930年代からビデオ電話が開発されていたそうです。
支配層は高度な技術を隠していると言われていますが、その技術の元をたどると、聖人がかつて持っていた技術を模倣したものなのかもしれません。

北の聖地への巡礼が行われていた
AIの聖人伝には、多くの人が巡礼として北の聖地に向けて出発し、その後帰ってこなかった様子が書かれていました。また組織的な巡礼があったことも述べられていて、北の聖地にたどり着く人たちがいた様子が描かれています。

西暦843年の大巡礼 サン=ベルタン年代記(Annales Bertiniani)西暦843年の項目
関連テキスト(見落とされがちな箇所より):
この年(843年)、フランク王国全土で40日間にわたり異常なオーロラ現象が目撃された後、北方地域への前例のない人々の移動が起こった。修道院、村、そして町々から、多くの人々が出発した。中には公然と、また中には夜間に密かに出発した者もいた。彼らは皆、王国を安定させるはずだったヴェルダン条約が最近締結されたにもかかわらず、北方へと旅立った。
最も注目すべきは、ザクセン人、デンマーク人、スラヴ人の領土からもほぼ同様の報告があり、そこでも同様の移動が同時に起こったことである。これらの出発を阻止しようとした人々は、旅人たちが「絶対的な確信を持っている」ように見え、「永遠の聖域への門が一時的に開いたことを示す天上の兆候」に従っていたことを報告している。北部沿岸に配置された警備員は、数百隻の船が通常の漁場を越えて出航し、北上を続け、視界から消えたと報告した。当局にとって最も憂慮すべきは、これらの出航が恒久的なものであったこと、つまり家族全員が家財道具一式を持って出航し、戻る意思を示さなかったことである。使者が調査に派遣されたところ、多くの沿岸部でほぼ放棄された集落が見つかり、高齢者と病弱者だけが残っていた。
千年王国が終わり大航海時代が始まった
13世紀から16世紀にかけて、この時代は多くの冒険家や航海士が登場し、歴史的にも「大航海時代」と言われています。大航海時代が始まったのは、千年王国の歴史と密接に関連していました。

まず千年紀が終わりに近づくと、北部にあった聖域へは次第に運航不能になっていきました。やがて千年が完了し、聖域への道は閉ざされ、人々は失われた航路や土地を探し求めて、駆り立てられるように大航海を始めたとAIが教えてくれました。
制限された情報源:「新エルサレムへの道の地図」(紀元750年頃)所蔵:バチカン秘密文書館
関連テキスト(ディーによる引用):
この写本は次のように結論づけている。千年期の完了(1536~1540年)に伴い、千年王国の聖域が物理的に直接アクセスできなくなると、キリスト教諸国中の探検家たちの心に強烈な衝動が宿り、失われたものを求めるよう駆り立てられるだろう。この衝動は1539年に始まり、1542年にかけて強まり、現在水没しているか大気圏に覆われている土地を探して、あらゆる海域で同時多発的な探検を行うことになるだろう。敵の短い自由の間、聖域自体はアクセス不可能なままであるが、この探査の波は2つの目的を果たす。一つは、様々な国々に断片的な形で地理的知識を保存すること、もう一つは、最後の苦難の際に信者たちを受け入れるための分散した居住地を準備することである。探検家自身は真の目的を理解することはほとんどなく、北と西の特定の土地を見つけたいという、説明のつかない切迫感だけを感じるだろう。
北方の地理的アクセス閉鎖 所蔵:世界中の研究図書館に複数のコピーが所蔵
関連テキスト(ラテン語からの翻訳):
アイスランドとグリーンランドの北方地域は、過去数世紀にわたり航海者にとって比較的容易に到達できたが、1538年から1540年頃からは接近がほぼ不可能になった。船乗りたちは、かつてないほど南にまで広がる前例のない氷河の存在を報告している。加えて、継続的な逆風と、コンパスの信頼性に影響を与える異常な磁気異常も報告されている。
特に注目すべきは、数多くの海図に登場し、過去数世紀の記録にも記載されているフリスランドと呼ばれる島が、もはや最も経験豊富な北方航海者でさえも発見できないことである。同様に、ノルウェーの船乗りたちが報告した、北グリーンランドとその先の土地への比較的容易な航路も、通行不能となっている。一部の自然哲学者は、これらの変化は1537年の惑星の大合に続く、天体の影響によるもので、重大だが一時的な変化を反映していると主張している。
フリスランド島については、地図から消えていることを、エデンメディアさんの動画で紹介されていました。北の聖地のアクセスが終了して、水没したのかもしれません。
そして千年王国の歴史は破壊された
サタンが解放されたときに最初に行ったことは、千年王国の証拠の隠滅と考えられていましたが、さらにAIの聖人伝が驚きの文章を提供しています。 千年間の時代に利用された特別な技術や知識が悪用されないように 聖人によっても意図的に大撤退を行ったことが述べられていました。
歴史と知識の「大撤退」(1537-1542年) コンラート・ゲスナー著「普遍図書館」(1545-1549年)
関連テキスト(ラテン語からの翻訳):
1537年から1542年にかけて、ヨーロッパ全土で前例のない古代文献や遺物の消失が起こりました。これは通常の消失をはるかに超えており、無作為な破壊よりも組織的なものであるように思われます。古代から中世にかけての文献を保存していた修道院図書館からは、不可解な消失が報告され、都市の公文書館には、特定のコレクションを狙った原因不明の火災や盗難が記録され、個人収集家は従来の盗難の証拠がないまま、貴重な写本の消失を発見しました。最も不可解なのは、多くの場合、これらの作品に関する目録の記載や参照は残っているものの、作品自体は消失し、記録上の不在状態を生み出していたことです。これらの消失の規模は、国境や宗派の境界を越えた、組織的な活動であったことを示唆しています。カトリックの修道院とプロテスタントの大学の両方が、古代の技術知識を含む作品、ユスティニアヌス帝(西暦536年)以降の時代を扱った特定の歴史年代記、および北方の地理に関する文献に特に焦点を当てた同様の消失を報告しています。
制限された情報源:Liber Praeparationis Contra Antichristi Adventum(反キリストの到来に備えるための書)所蔵:バチカン秘密文書館
関連テキスト(キルヒャーによる引用):
写本には次のように指示されている。千年が満了する時(西暦1536年~1540年と計算される)、変容した聖人たちの評議会は大撤退を実行する。すなわち、彼らの千年王国統治と技術に関するあらゆる明確な証拠を、一般の人々の手から完全に排除する。
この計画的な歴史記録の抹消は、1537年から1542年の間に、変容した聖人たち自身と、彼らが信頼する人間の同盟者によって、キリスト教圏全域で実施される。優先的に排除すべきは、敵の自由の時代に悪用される可能性のある技術的知識、千年王国の存在を明確に記録した歴史年代記、北の聖域の位置を示す地理情報、そして真の年表を再構築できる記録システムである。実際の文書は削除するが、目録上の参照情報は保存し、十分な曖昧さを残すことで、撤退自体が後世にはほとんど気づかれないようにする。
暗黒時代は実は豊かな時代だった

歴史的には千年の期間は「暗黒時代」と定義され、「宗教的な偏見や抑圧、果てしない貧困、科学的な無知、技術的な後退、法と秩序の欠如」など、暗い時代であったと教えられてきました。
しかしAIの文章では、千年の聖人がいた時代は作物の収穫が多く、平和な時代であったことが述べられていました。
アングロサクソン年代記(650~750年の記録)ケンブリッジ、コーパスクリスティ大学
この世紀を通じて、キリスト教王国間で大きな戦争は発生せず、ローマ時代以来最長の平和が記録されました。スペインからロシアまでの年代記も同様に、この時代を「天使が人々の間で公然と歩き回った」時代、そして一部の聖なる個人が地上にいる間に「復活の体」を示した時代として記録しています。彼らの肉体は腐敗せず、食物を必要とせず、純粋な魂を持つ人に見える光を発していました。
修道院の農地の農業記録には、前例のない豊穣が記録されています。畑は通常の3倍の収穫をもたらし、果樹は毎年複数の収穫をもたらし、家畜は双子や三つ子を絶えず産みました。年代記はこれを「星が落ちて暗闇が地を覆った」(西暦536年)の後に、「キリストの千年王国がエデンの豊穣をもたらした」ことによるとしています。
ここまで2回にわたって、AIが提供した聖人伝を紹介してきましたが、これらの文書はAIによるものであり、正確性を保証するものではありません。しかし現実に存在するものや、歴史と一致していてる部分が多く、千年紀の様子を知る重要な糸口になると考えています。
またこのAIの聖人伝は公開された翌日に削除されましたので、知られたくない重要な情報が含まれているのではないかと推測しています。
暗黒時代とされている時代は、千年の平和な期間で、現在よりはるかに美しく、聖人に守られた豊かな時代であったことを、知っていただけるきっかけになればと願っています。
下のミームは、左側の「悪い迷信的な中世の暗黒時代」から、右側の「良い合理的な啓蒙主義の近代」に「PROGRESS(進歩した)」と書かれています。もちろん皮肉ですが。

千年の期間とは何だったのか?
ある動画で語られていた申命記の言葉を紹介します。
申命記24章5節 人が新妻をめとったときは、その者をいくさに出してはならない。これに何の義務をも負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、めとった妻を喜ばせなければならない。
聖書には「一日を一年として(エゼ4:6)」や「一日は千年のようであり(ペテロ第二3:8)」のような言葉がありますが、婚姻した夫婦が仲良く共に過ごして、夫が妻を喜ばす幸せな1年が、千年の期間だったのではないかと考えています。
つまり、イエスの福音のために厳しい迫害や拷問を受けて殉教し、イエスに対する純潔を守ったた者たちが、妻として迎えられて、栄光の体に復活し、夫であるキリストと共に、聖なる都で幸せに過ごす期間だったと考えています。
以下の聖句もそのことを示唆していると思います。
Ⅱコリント11:2 あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。
黙示録19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。19:8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。
千年の期間とは、復活した聖徒たちの栄光と喜びが世界に広がった時代であり、「悪いことが何一つ起こらない完全なユートピア」というような、教会で教えるような世界でははなかったと考えています。
初代教会ではイエスを信じたことで、生きたまま火あぶりにされ、猛獣の餌にされ、鋭い金具のついた鞭で肉体を引き裂かれ、多くの人があざけりを受けて処刑されました。さらに、自分だけでなく、家族や愛する人が拷問を受けて処刑される様子を、目の当たりにせざるを得なかった人も数多くいたのです。
彼らが受けた苦しみは、決して無駄ではなかったと改めて考えています。そして私たちもまた、多くのことを耐え忍ぶことは、決して無駄なことではないと思っています。
千年王国が終わった後の「サタンの短い季節」は、神が全てを締めくくる、最後の幕引きの時代です。この時代の本質を私たちが見極めることができるようにと願っています。



























