第二回 衝撃の発見!イスラエルは本当の聖地ではなかった

前回紹介した「イエスの地」の発見により、様々なことが明るみになってきています。今回ご紹介することは、イスラエルを何度も訪問して聖書の史跡を巡り、さらにエジプトやヨルダンを旅行した私にとって、非常に受け入れ難い内容です。
なぜなら今まで私がイスラエルに関して信じてきたことや、書いた文章、人に語ってきたことなどが、間違っていたと認めなければいけないからです。しかしながら、謙虚な気持ちで真実に目を向けていきたいと思います。情報量が多いでので、できるだけ簡潔に紹介しています。
パレスチナは捏造された
ほとんどの方が「イスラエル及びパレスチナの周辺は、聖書の舞台であり、イエス様は今のエルサレムの地で十字架刑を受けられた」と信じていると思います。
この考えを覆すのは大変困難であると思っていますが、これから「イスラエルは本当のイスラエルではない」可能性をご紹介したいと思います。
1947年出版されたBRITAIN — THE KEY TO WORLD HISTORYから抜粋して紹介します。
この本は下のリンクからも読むことができます。(抜粋箇所は16ページ~18ページです)
https://archive.org/details/TheKeyToWorldHistory/page/n15/mode/2up
さらに、エルサレムの遺跡が200年以上もの間完全に忘れ去られ、コンスタンティヌス大帝が政治的な動機で現在のパレスチナで「発見」するまで、どれほどの人がエルサレムの遺跡を「発見」していたかを知っているでしょうか。私が以下のページで示すように、今日のパレスチナは旧約聖書、ひいては新約聖書のものとは全く一致していません。数年前、H・D・ドーントという著述家は、『古代文明の中心』と題する著書の中で、パレスチナが聖書の聖地であることを、明確な理由から否定しました。
〔中略〕
聖書の地理学に関して言えば、その誤解の主たる責任者はコンスタンティヌス大帝であったように思われます。彼はユダヤ史とキリスト史の舞台を全く別の地域に移そうとする明確な動機を持っていました。彼はキリスト教を貴重な政治的資産として利用し、東方を自らの帝国と定め、エウセビオス、ヒエロニムスらの助力を得て、現在のパレスチナを捏造しました。
パレスチナ地方は聖書の記述にそぐわない
上記で紹介した本では、現在のパレスチナ地方にある聖地は、「捏造された」と主張していますが、その理由も書かれています。
- イスラエル人が奴隷にされ、エジプトのファラオから逃亡したという記述は裏付けの証拠がない。
- パレスチナは、「肥沃さと豊か」と聖書に記録されているが、砂漠地帯を除けば、西アジアでは最も貧しい土地である。
- 多くの都市を持つ文明は、近隣諸国の記録にその痕跡を残すが、パレスチナでは何世紀にも分かれてバラバラになっている証拠しかない。
- 聖書に登場する君主や書記官たちは、文学的才能を持っていたと思われるが、パレスチナではヘブライ王国に帰属する碑文は一つも発見されていない。
- エルサレムからはダビデとソロモンの痕跡、石板や碑文、また記念碑さえも発見されていない。
- パレスチナ地方の都市は、ヨセフスとネヘミヤによる詳細な記述と、地形的に全く一致していない。
その他にも聖書の物語と照らし合わせると、不自然だと感じることがあります。
- ガリラヤ湖は福島県の猪苗代湖と大して変わらない大きさで、イエスの弟子たちが死ぬほどの思いをして渡っていた聖書の描写には合わない。
- ヨルダン川は、ヨシュア率いるイスラエルが渡った時に、神がせき止められた大河と記録されているが、あまりにもスケールが小さい。
- 栄華を極めたと言われたソロモン王が建てた神殿跡のサイズはとても小さく、また成人の男子が年に3回エルサレムに巡礼し、大量の人が出入りしていたと考えられるエルサレム旧市街も、規模が非常に小さい。
紀元333年まで、聖地の地図や本はなかった
「聖地を偽装するなんて、そんなことが可能なのか?」と思いますが、どこに聖地エルサレムがあるのか、昔は知られていなかったようです。何しろ紀元333年に、「ボルドー巡礼紀行(エルサレム旅程)」として知られる聖地巡礼の文章が書かれるまで、中東の聖地を描いた地図や本は、一つも存在していなかったそうです。
「ボルドー巡礼紀行」が書かれたのは、ニカイヤ会議から10年後のことでした。ニカイヤ会議は、キリスト教の教義を統一することを目的としていましたが、この会議において、「エルサレムを現在のパレスチナに設置すること」がキリスト教内で合意されたのではないかと推測されています。

死海文書も捏造
「二十世紀最大の考古学的発見」とも言われている死海文書は、1947年に発見されました。1世紀までの文献とされていますが、主張されているような古代の文献ではありませんでした。
上記の動画では、死海文書は捏造であると主張されています。その理由をまとめると、
- 紀元前と紀元初期に使われているはずの、筆記体の古代フェニキア・アラム語で書かれていない。死海文書は300年頃から使われ始めたブロック体ヘブライ文字で書かれている。
- 紀元前から紀元後初期は、写本はパピルスに書かれていたが、死海文書は朱色の羊皮紙に書かれている。朱色の羊皮紙は1200年代~1500年代の古地図に利用されている。
- 死海文書は中世の十字軍時代に、テンプル騎士団がマソラ学者と共謀して執筆・編纂した、偽造文書だと考えられる。
- 死海文書研究に起用されている学者は、バチカンのカトリック祭司とユダヤ教の聖職者である。セム語学者で最高の学者がいるが、死海文書の研究には起用されない。
- 銅の巻物がクムランの洞窟で発見されているが、銅は2000年経てば腐食して残らないはずである。不思議なことに発見された銅の巻物は、ほとんど腐食しておらず、高額なのこぎりを購入して細かく刻み、ハンダ付けで接合したことが自慢げに記事に書かれている。古代の貴重な遺物であるはずなのに、ありえない取り扱い方である。
- 死海文書が発見されたクムラン地域は人々が行き来していたが、巻物はイスラエル建国と同時に「突然」発見された。
- イスラエルが建国してからこのような巻物は、突然どこに行っても発掘できる。ヘブライ文字で書かれたイエス時代のユダヤの大祭司カヤパの墓石までも、どこからともなく突然発見された。
「二十世紀最大の考古学的発見」が捏造であったとしたら、その他の考古学発見を信じることができるでしょうか?
地名は変えられている可能性がある
こちらは1840年のアフリカの地図です。「エチオピア」の国は中央の大きな地域に位置しています。185年前は現在のエチオピアはAbyssinia(アビニシア)という地名でした。「スーダン」の国の位置も全く違っています。

こちらの地図には、「ETHIOPIAN SEA(エチオピア海)」とあり、エチオピアはとても大きな国だったと思われます。聖書に登場するエチオピアのシバの女王は、現在のエチオピア国から来たのではなく、もっと大国の女王だったのかもしれません。

イスラエルはどこにあるのか?
もし現在のパレスチナ地域は聖書の舞台でないとしたら、本当の場所はどこなのでしょうか?
実は「アメリカが聖書の舞台である」ことが研究されています。
Biblical holy land in America(アメリカは聖書の聖地)という、動画のプレイリストがあり、83もの動画がまとめられています。(下の動画です)
動画をいくつか見てみましたが、現在の中東よりもアメリカの方が聖書の舞台だったと思える根拠がたくさん紹介されていました。下の図が主張されている国々の分布です。

カリフォルニア湾は「紅海」と呼ばれていた
カリフォルニア湾は、古代から「紅海(Red Sea)」と呼ばれていました。

地図には「MAR VERMEJO」と書かれています。MAR=海、VERMEJO=赤い

「GULF OF CALIFORNIA OR RED SEA」つまり「カリフォルニア湾 または 紅海」と書かれています。
グランドキャニオンでエジプトの遺跡が発見されていた
アメリカのグランドキャニオンには、地下トンネルや人工的に造られた入口があり、1870年には「エジプトの遺物が大量に発見された」ことが発表されました。大量のミイラが発見され、また大量の象形文字も解読され、その内容はエジプトに売られたヨセフの物語と歴史だったそうです。もちろんすべての発掘物は、スミソニアン博物館によって回収されています。
この動画に登場する男性は、スミソニアン博物館のアーカイブにアクセスできた人から写真を入手して、ウエブサイトで公開したそうですが、サイトは突然閉鎖になってしまったそうです。
アッシリアはアメリカにあった
この動画は日本語で「アメリカにおけるアッシリア:証拠が多すぎる、偶然が多すぎる」というタイトルの動画です。内容を要約します。
北アメリカには数千もの墳丘墓や塚状の遺跡があります。それらはとても古く、芸術性と高度な建築知識が注ぎ込まれています。それに対して現在のアッシリアにある塚は、土を盛り上げて形成されただけのようで、芸術的な技術が使われているようには見えません。
またアメリカの各地で「粘土板、楔形文字の板」が見つかっています。それらの発掘物は7000点以上ありますが、実際に公開されているものは250点のみのであり、その250点は明らかに偽物のようなものばかりです。その結果、アメリカで発掘された7000点の古代の遺物は、「すべて偽物」と認定されてしまいました。ところがアメリカで「古代の遺物の偽物」が見つかったのと同じ頃に、中東では同様の発掘物が見つかったと発表されているのです。
また下の動画は「巨石文明のアメリカ:北米の超社会の遺跡」というタイトルの動画です。古代の人が残したと思われる、非常に古い石積みが、アメリカの至る所で見つけることができます。
中東の歴史を偽造している
こちらの動画では「シリア、バビロニアの遺物はほとんどが模造品である」であることを解説しています。中東の彫像は、不思議なことに40トンの彫像が倒れた状態で発見されるのにほぼ無傷です。門の外に建立されていた像も、2500年も風雨にさらされていたはずなのに、非常に真新しい状態で発見されています。
イスラム過激派とされるISISが、中東の古代の偶像を壊す映像が公開されましたが、よく見ると「土台となった鉄骨」が見えます。アブ・シンベル神殿が移築された時の様子を見ると、巨大な石はいとも簡単に分割され、レゴのように組み立てられて、まるでハリウッドの舞台セットのようです。中東の古代遺跡とは、支配層が自分たちで設置して、時には自分たちで破壊している、自作自演の可能性を紹介している動画です。

「これが本物に見えますか?」と書かれています。
あらかじめ準備しておいた彫刻板を、地面に埋め込んだような発掘現場です。
「アメリカはエジプトと約束の地を取り戻した」と書かれたフリーメーソンの本
次に紹介する動画は、前半ではユタ州にある聖書の地名を紹介しています。そして決定的なことが、動画の後半で紹介されています。
1907年発行のフリーメーソンの本「Ancient Mystic Oriental Masonry(古代の神秘的な東洋のメーソン)」に書かれている言葉には、アメリカにエジプトがあることが示唆されていました。

5.エジプトのメンフィスのピラミッドでは、王たちの指導の下、何千年も昔にフリーメーソナリーの神秘的な儀式が行われていたのは事実ですが、当時、エジプトとアメリカ大陸は同一のものでした。
6.「アメリカ大陸は15世紀に再発見され、17世紀に再び人が定住しました。アメリカはエジプトと約束の地、すなわち鷲の星座の地を取り戻したのです。」
こちらの動画です。
アメリカ先住民族はヘブライ人
もしアメリカが聖書の舞台であるとしたら、古代から住んでいた人たちが本当のヘブライ民族である可能性があります。これからアメリカ先住民が、聖書の民であるヘブライ民族だった証拠をご紹介していきます。
アメリカ先住民の言語はヘブライ語に起源をもつ
こちらの動画の前半は、ユタ州にある聖書の地名「モアブ、ネボ山、ピスガ、ナフタリ、ジェリコ、ギリアデ、ダン、エフライム、マナセ」を紹介しています。そして後半では、文献として残されている証拠より、アメリカ先住民族がヘブライ民族であったことを紹介しています。
「ヘブライ語とアメリカ先住民族語の研究(トーマス・W・ブルックバンク著、1926年に出版)」より抜粋
有能な判断者が、同様の原理に基づいて構築されているとされる2つの言語に、多数の類似または同一の形態があるとした場合、その大部分は偶然の一致ではないと仮定できます。そして二つの言語の間に、真の類似性が存在することが示された場合、その二つの言語は共通の源から生じたことは明らかです。単なる類似あるいは同一の用語の価値は、真の類似性の証拠を裏付けるものとして非常に重要になるのです。
A Study in Hebrew and Indian Languages" is a book by Thomas W. Brookbank, published in 1926
これらは、アメリカ先住民の言語が、ヘブライ語から派生したという主張に関する条件です。もしこれらの語を相互に特徴づける用語が少数しか存在しないのであれば、この件においてそれほど価値がないと考えられるべきでしょう。しかし何百もの類似語や同一の語形が列挙されていることを考えると、アメリカ先住民の言語はヘブライ語に起源をもつという推測は、妥当ではないでしょうか?
先住民の知識に関する記録:アメリカ合衆国インディアン部族の歴史、古代遺物、言語、民族学、象形文字、儀式、迷信、神話に関する議会に提出されたすべての原本を収録 ヘンリー・R・スクールクラフト博士著 より抜粋。
西部領土のアメリカ先住民の風俗、慣習、習慣などに関して、私がこれまで目にしたどの例よりも真実かつ正確な様式は、エジプトの奴隷状態から解放された後のユダヤ人、あるいはイスラエル人の古代史の中に見出すことができる。
アメリカ先住民の「メディスン・ロッジ」は、ユダヤ人の礼拝所、あるいは幕屋に例えることができる。犠牲、供物、清め、沐浴、塗油といった儀式は、すべて彼らの間で見られ、実践されていた。
アメリカ先住民女性の特定の時期や出産後の習慣は、ユダヤ人女性のものとほぼ同様である。彼女たちは、沐浴と清めに加えて、家事に従事できるとみなされるまで、一定期間を設けなければならない。この期間中は、彼女たちは不浄とみなされ、集会場に入ることも家族と合流することも全くできない。実際、彼女たちは決してそうしようとはしない。自分たちで小屋を建て、そこにずっと留まり、食料を運んでもらう。
死者の親族を悼む方法はイスラエル人のそれと非常によく似ている。そのような場合、男性はすべての華やかな衣服を脱ぎ捨て、もし着るとしても、最も価値のない衣服を身につけ、時には10ヶ月も続く喪の間、頭、そしてしばしば体を白土で覆い続ける。これは荒布をまとい灰をかぶる行為とも言える。一方、女性は髪を切り落として醜くする。
ARCHIVES OF ABORIGINAL KNOWLEDGE.
CONTAINING ALL THE ORIGINAL PAPERS LAID BEFORE CONGRESS
RESPECTING THE HISTORY, ANTIQUITIES, LANGUAGE, ETHNOLOGY, PICTOGRAPHY, RITES, SUPERSTITIONS, AND MYTHOLOGY, OF THE INDIAN TRIBES OF THE UNITED STATES
BY HENRY R. SCHOOLCRAFT, LL.D.
北アメリカ先住民の風俗、慣習、そして生活状況に関する手紙と覚書:ジョージ・キャットリン著 より抜粋。
北アメリカ先住民において、ユダヤ人との関連性を示す最初の、そして最も印象的な事実は、彼らがあらゆる場所で、ヘブライ人が神の戒律によって命じられたように、大霊、すなわちエホバを崇拝している点です。
古代の異教徒や異教徒が複数の神々を崇拝し、自ら作り上げた偶像を崇拝していたのとは異なります。北アメリカ先住民は偶像崇拝者ではありません。彼らはただちに大霊に訴えかけます。個人や象徴的な仲介者ではないのです。
北アメリカ先住民の部族は、至る所で集団に分かれており、首長、シンボル、バッジなどが存在します。そして、彼らの崇拝様式の多くは、モーセの教えに非常によく似ていると私は見ています。ユダヤ人には聖域があり、アメリカ先住民にも同様に、常に聖なる場所とみなされる評議会や、医院といった聖域があると言えます。
LETTERS AND NOTES ON THE MANNERS, CUSTOMS, AND CONDITION OF THE NORTH AMERICAN INDIANS.BY GEO. CATLIN.
ユダヤ人と同様に、彼らにも大祭司と預言者がいます。北アメリカ先住民は、古代ヘブライ人と同じく、女性は男性と一緒に礼拝することは許されていません。
WRITTEN DURING EIGHT YEARS’ TRAVEL AMONGST THE WILDEST TRIBES OF INDIANS IN NORTH AMERICA, IN 1832, 33, 34, 35, 36, 37, 38, AND 39.IN TWO VOLUMES,
WITH FOUR HUNDRED ILLUSTRATIONS, CAREFULLY ENGRAVED FROM HIS ORIGINAL PAINTINGS. VOL. II.
アメリカ先住民チェロキー族について調査したブーディノット氏の言葉をご紹介します。
彼らの指導者たち、あるいは『愛する』人々の間では、「白人が持っている本は、かつて自分たちのものだった」と言い伝えられている。彼らがそれ(本)を持っていた間、彼らは大いに繁栄した。白人は彼らからそれを買い、そこから多くのことを学んだ。アメリカ先住民は功績を失い、大いなる精霊を怒らせ、近隣諸国から甚大な被害を受けた。
ブーディノット氏が語った白人が持っている本とは、「聖書」を指していると思われます。
アメリカ先住民はヘブライ民族の文化を持っていた
こちらのページには、1817 年から 1847 年まで、アメリカ先住民のチェロキー族の宣教師として、アメリカ先住民と交流があったバットリック牧師の著書「チェロキー・インディアンの古代史(1884年出版)」について書かれています。
ページを読むとアメリカ先住民が、割礼や安息日を守っていたこと、元々は12部族がいたこと、敵から逃げたときに水が分かれて安全に通り抜けたこと、石に書かれた律法を与えられたこと、先祖に与えた土地に着くときには大きな川がせき止められたこと、指導者が太陽を止めて昼の時間を長くして敵を滅ぼしたこと、病人は死体に触れたときのように不浄とされること、太ももの特定の腱を食べない事、…ヘブライ人であった可能性を示す、たくさんの伝統について述べられています。
またこちらの動画でも、アメリカ先住民がヘブライ人の子孫であることについて書かれた古い本を紹介しています。興味のある方は是非ご覧ください。(こちらの動画主の主張は、ヘブライ人の起源は中東で、中東からアメリカに移住したという考えです)
TERRE DE IESSO は「イスラエルの子孫の土地」
アメリカ先住民が聖書の民であったというのはとても信じられないと思いますが、多くの証拠を見ると、私たちが今まで信じていたことを修正する必要があるのではないかと考えています。
アメリカ先住民の大量虐殺の歴史はほとんど話題になりませんが、1492年以降、5,000万人から9,000万人の先住民が死亡したと推定されています。また500万人が奴隷にされたそうです。まるで申命記28:15からの呪いが実現したかのような、悲劇の歴史を持った民族です。
今までの調査から、エジプトはアメリカにあり、イスラエルの民は出エジプトの際に、カリフォルニア湾の紅海を渡り、北上して北西アメリカを通過し、最終的に TERRE DE IESSO にたどり着いたのではないかと推測しています。
下の地図は1708年のものです。大陸の形が歪んでいますが、「Terra de Yesso」 と描かれています。左下にはJapanの文字もあります。そしてTerra de Yesso の地にはドイツ語の注釈があり、「イスラエルの子孫の土地」と書かれていました。


次回はなぜ本当のイスラエルは隠されているのかを、聖書の言葉から考えていきたいと思っています。またイスラエル民族の足取りを考えてみたいとと思っています。