第12回 よくある質問

個人的な見解

ここまで読まれた方々の心の中に、きっと様々な疑問があると思いますので、よくある質問をまとめたいと思います。その前に少し、私が現在考えている千年王国について、個人的な見解ですがまとめてみます。

第四エズラ書に書かれていたこと

第四エズラ書という書物に、興味深いと感じた箇所がありました。第四エズラ書とは外典ですので、読まれた方は少ないと思います。内容はエズラがバビロン捕囚の時に見た幻を記録したもので、主要部分は「エズラの黙示」と呼ばれ、黙示文学として知られています。

もともとヘブライ語で書かれたものを、ギリシャ語やラテン語やエチオピア語などに訳されたものですが、原本のヘブライ語やギリシャ語は、完全に失われている文献です。ラテン語版日本語訳はこちらから無料で読むことができます

第四エズラ書は聖書ではありませんので、聖典として読むべきではないと思っています。しかしながら、「千年王国のようだ」と感じた個所がありました。

7章26節より

みよ、わたしがお前に予告したさまざまの前兆が実現する時が来る。そのとき、今見ることのできない町があらわれ、今はかくされている国があらわになるのだ。

そして、私が予告したわざわいから救い出されたすべての者はわたしの不思議なわざを見るであろう。その時こそ、わが子、わがメシアが、彼に従う人びととともにあらわれるであろう。

そして残った者たちは四百年間、喜びのうちに日を過ごす。

第四エズラ書 新見宏訳

「四百年間」と書かれているので、明らかに千年とは違っていますが、それでも「メシアと聖徒たちが喜びのうちに過ごす限定された期間」があることについて述べられています。「今見ることのできない町があらわれ、今はかくされている国があらわになり」とあり、特別な町や住居地が登場することが書かれています。

イエスを信じた結果、拷問や死刑という苦しみを通過しなければならない聖徒達がいました。彼らはその後に救われて、メシアと共に地上に再臨しただろうと考えられます。「わざわいから救い出されたすべての者」「わがメシアが、彼に従う人びととともにあらわれるであろう」と書かれていることが、その出来事を言い表していると思いました。

そして聖徒たちが喜びのうちに暮らす建物が、ベルサイユ宮殿のような建物だったかもしれないと考えています。キリストと同じ栄光体を持った聖徒達は、美しい建物と庭園の中で、芸術作品に囲まれて暮らし、彼らもまた、美しい絵画や彫刻、またクラシック音楽など、人々の魂に喜びを与える作品を作ったのではないかと想像します。

キリスト教の大聖堂は、イエス・キリストの本当の福音を伝える建物として建築されたと思われます。通常の肉体を持つ人々が大聖堂に集い、オルガンやサイマティクスの癒し効果を楽しみ、喜びのうちに暮らしていたのではないかと想像します。

この期間はサタンが拘束されていたので、人間の本来の能力は、主に良いことのために使われたと思われます。フリーエネルギーが明らかにされ、様々なテクノロジーが利用され、スター・フォートや機能的な街が登場しました。

千年王国なのになぜ悪が消えないのか?

千年王国になっても、悪に従う人たちは存続し続けていました。なぜならこの世界は、「良い種が撒かれた畑に毒麦が撒かれた状態である」と例えられていて、収穫の時まで、良い麦も悪い麦も育つままにされるからです。

収穫の時とは、世の終り(マタイ13:39)の時ですが、千年王国の期間はまだ世の終わりではないのです。千年王国後にサタンが再登場し、しばらくの間解放されるのですから、千年王国の最中はまだ世の終わりではありません。

それでも多くの人は、「キリストと復活した聖徒たちが統治する千年王国の時代に、なぜこれほどの罪があるのか?」と言われると思います。しかし1世紀の時代を考えると世界は大きく変化しています。

1世紀の頃は、人の命は商品のように扱われていました。奴隷と囚人が殺し合ったり、奴隷と猛獣の戦いは庶民の娯楽でした。人間を猛獣の餌にして、その後猛獣を切り裂き、胃袋にある未消化の人体を見て、人々は楽しんでいたと伝えられています。生きた人間を偶像に捧げる儀式も各地で行われていました。食料として人間を売買していた地域もありました。

今日私たちが当たり前のように考えていること、「人は神の似姿に創造されているので、一人一人に尊厳があり、価値があり、重要である」という考えは、当時の人たちにとっては未知の考えだったのです。

しかし千年王国が始まり、人間の死を娯楽にしていた文明は滅び、生きた人間をいけにえにした文化は消えていきました。人口が数千人ほどの小さな町にも、大聖堂のような美しい癒しの建物が建てられ、スターフォートのような美しい住居空間が作られ、様々なテクノロジーの伝達と共に、イエス・キリストの福音が世界中に延べ伝えられる時代が来たのです。

オカルトを崇拝する人たち

千年王国が始まり、世の中に光が輝き始めた時代に、悪に従う人たちは、自分たちの正体を隠さなければならなかったと思われます。「支配層はオカルトを崇拝している」と言われますが、オカルトの元来の意味は「隠されたもの、秘密」という意味です。彼らは隠れながらも、脈々と自分たちの伝統を持ち続けてきました。やがてサタンが、底知れぬ所から解放される時が来るのを知っていて、その時のために準備をしていたことでしょう。

第5回で、コインなどの「I」や「J」について紹介しましたが、数名のコイン収集家が「15世紀以前のコインには年号が書かれていない」とコメントしていました。また文献も同様に、15世紀以前のものには、日付が書かれているものが少ないというコメントがありました。

最初から将来に歴史を偽装する予定で、「I」や「J」と年の記入を、15世紀頃から開始したのではないかと考えています。そして19世紀の終わりに、「I」や「J」を、数字の「1」と読むようにさせて、キリストの十字架刑から2000年近く経っているように、偽装したのではないかと考えています。

つまり15世紀ごろに、サタンの計画は出来上がっていたのです。15世紀、16世紀ごろは、とても重要な時代でした。イエズス会が設立され、地動説が登場し、グレゴリオ暦が導入され、歴史を改ざんした張本人と言われる、スカリゲルが生きた時代でした。

サタンの計画とは『聖書の預言を利用して世界を滅ぼす』ことだと考えています。そのために聖書が必要です。イングランド王ジェームズ1世の命令によって翻訳されたキング・ジェームス聖書(欽定訳聖書)は、1611年に登場しました。世界で一番読まれている聖書と言われていますが、イングランド王ジェームズ1世はフリーメーソンであったと、フリーメーソンのウェブサイトに紹介されています。  1611年出版の初版は、今日でもフリーメーソンの寺院の秘密儀式で、伝統的に使用されていると紹介されています 。この頃が、サタンが解放される直前だったかもしれないです。

※注意:キング・ジェームス聖書は翻訳がとても良いことで知られていて、世界中で一番多く読まれている聖書でもあり、キング・ジェームス聖書自体はとても素晴らしい聖書だと考えています。)

それではよくある質問をいくつか紹介していきます。

イエス様と聖徒たちは、現在どこにおられるのか?

この質問の答えとして、一番支持を得ている回答は、地図上で隠されている北極です。

北極に陸地があることは、古代の地図を見ていただけば明らかだと思います。多くの古代文化には、「北方の桃源郷」という考えがあり、北は隠された場所で、伝説では「心の純粋な人だけがシャンバラ(理想郷)に入ることができる」とも言われているそうです。

この説に関して詩編に聖句があると言われています。

詩編48:2 大いなる主、限りなく賛美される主。わたしたちの神の都にある聖なる山は 3 高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都

Eden Mediaさんの動画に、「北極伝説:失われたエデン」というタイトルで、地図から消された北極の解説がありましたので紹介します。突然隠されていた美しい島を見つける映画のシーンや、アニメ「星を追う子ども」でアガルタという世界は「死者の復活する場所」として紹介されていることなど、今見ると大変興味深いことが登場します。

また北極に近い土地で見られるオーロラとは、キリストが御座におられる輝きではないかと言われています。

黙示録4:2 たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり3 その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった

「北」というヘブライ語צפוןには、「隠された」という意味があります。また英語のNORTH(北)はTHRONE(王座)のアナグラムではないかと言われています。しかしながら、北極にイエス様と聖徒がおられるという説を、実際に証明できる人は誰もいませんので、このような説があると紹介することしかできません。

また、「わたしの国はこの世のものではない。(ヨハネ18:36)」という言葉もありますので、千年王国が終了して天に戻られているという考えもあります。

いつ千年王国は終わったのか?

この件には様々な意見があります。1070年という説から2001年9月11日という説まで、幅が広いです。
最初に紹介されたものは1820年頃という考えです。1820年と言っても、実際には歴史の改ざんで、1000年しか経っていないという考えです。

この説では、1800年代に起きたと言われるマッドフラッドとは、「千年王国が終わり、悪魔が底知れぬ所の牢屋から解放された時のインパクトだったのではないか」と考えられています。

またマッドフラッドでは、「人影がなく空っぽの街」が紹介されていることがありますが、千年王国が終了して、聖徒達がいなくなったからではないかとも考えられています。

こちらがその解説の動画のパート1です。チャンネルの動画が消されたので別の人がアップした動画です。

1776年アメリカ建国がサタン解放記念日という説

一番支持されているのは、「西暦 1776年アメリカ独立記念の年が、公式にサタンが解放された年だった」という説です。その根拠が以下のようになっています。

  • 西暦70年前後に、初代教会の迫害、エルサレム神殿の破壊が起こったと考えられる。
  • キリストの再臨と千年統治の始まりは、それからあまり時を経ずに起こったと考えられる。
  • 1000年が経ったとすると、1070年ごろに千年王国の統治が終わったと考えられる。
  • しかし約700 年が年表に追加されたことを考慮して、1070年に700年を追加して1770年とする。
  • 1770年ごろ、つまりアメリカ独立宣言(1776年7月4日)、及びイルミナティの設立年(1776年5月1日)がサタン解放の公式宣言ではないかと考えられる。
  • サタンが解放された記念碑は、鎖が外れた自由の女神である。

自由の女神像の足元に、引きちぎられた鎖と足かせがあります。右足は足枷から外れています。左足の鎖も、よく見ると鎖は切れていて、両足は鎖から解放されています。通常の説明は、「足元の鎖は、かつての奴隷制度と独裁政治を象徴するもので、束縛から解放されて自由になったことを表している」などと言われています。

自由の女神の両足の鎖が外れている本当の理由は、サタンが解放されたことを象徴しているのではないかと言われています。

黙示録20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た
黙示録20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され

鎖が外れている

そのほか、千年王国が終わったのは、1500年~1800年頃ではないかという考えが多いです。

こちらは「レギオン(軍隊)を召喚する悪魔」(Satan summoning his Legions)の絵の前に立つ、ジェイコブ・ロスチャイルドとマリーナ・アブラモヴィッチです。自由になったサタンを崇拝しているのではないかと感じました。この絵画は1796年-1797年の作品です。

「しばらくの間」とはどれくらいの期間なのか?

黙示録 20:3 サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない

「しばらくの間とはいつまでなのか?」という質問はよく聞かれます。現在考えられている説で、支持されていると感じるのは以下の3つです。

  • a little season(小さな季節)と英訳されているため、1000年のうちの1つの季節と考えて、1000年÷四季=250年説
  • ダニエル書12:12の記述から、335年説
  • エジプトで奴隷となったとき神が沈黙された、400年説

ダニエル書の335年説とは

ダニエル書12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ

千三百三十五日と書かれている箇所は1335年であると考えます。「常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時」は神殿崩壊のときです。つまり、神殿崩壊の西暦70年から「忍んで待つことは幸いだ」と言われる時までは、1335年の期間があることを意味しています。1335年=1000年+335年です。神殿崩壊後まず千年王国があり、その後に335年の「しばらくの間」があるという考えです。

400年説とは

エジプトでイスラエル人が奴隷となっていた時、神は約400年間沈黙されて、彼らを助けようとはされませんでした。現在私たちは、サタンに従う支配層の「奴隷」のような状態になっていますが、出エジプトの時と同様に、神は400年沈黙される期間があるのではないかという説です。

また旧約時代の最後の書マラキ書の時代と、新約のイエス・キリストの時代の間には、約400年の隔たりがあります。この期間は、新しい預言者が現れず、聖書も記録されず、「沈黙の年」と呼ばれています。旧約から新約へと、新しい時代に移行する時に400年が過ぎたように、千年王国の終わりから新天新地までの期間は、約400年ではないかという説です。

千年王国なのに、なぜ十字軍や異端審問などのひどい出来事があったのか?

まず最初に考えなければいけないことは、私たちが学校で学ぶ歴史は、正しいとは限らないということです。

十字軍について

十字軍とは、1096年から1291年まで、200年近く続いたキリスト教徒とイスラム教徒の間の一連の宗教戦争で、十字軍となったキリスト教徒は、イスラム教徒やユダヤ教徒を、大虐殺したと言われています。

第一回の十字軍についての英語のウィキペディア には、十字軍の出来事が大変詳しく解説されています。まず驚くのは、この時代は暗黒時代でほとんど資料がないと言われているのに、詳しく日付が特定されているということです。

聖地エルサレムを目指して十字軍は出発しましたが、エルサレムに到着するまでに、ほぼ3年かかるそうです。当時は、印刷された聖書はなかったので、聖書を読んだことがない人達が、エルサレム救済のために、片道3年の月日をかけて遠征したというのですから、信じられないような出来事だったと思います。

第一回の十字軍には、非戦闘員も含めると合計6万人から10万人が参加したと書かれています。現在のような舗装された道路や売店などない時代、これだけの人数の道中の食事や休息場所は、一体どのように確保されたのかと、大変疑問に思います。物語に合わせて、15世紀や19世紀に絵画が描かれていて、創作や捏造の部分があるのではないか感じます。

実際に、十字軍の物語は「全く違う物話である」と解説している人がいます。下の動画はカトリックの人の解説で、タイトルは「十字軍の本当の歴史! (通説と相反する)」というものです。

この動画では、残酷な殺害をしたキリスト教徒は、実際はイスラム教徒のために祈り、人々を助けるため、また自己防衛のために戦ったと解説していて、ぜんぜん違う物語になっています。

十字軍とは本当は何だったのか? はたして歴史の教科書に書かれているようなことが起こったのか? 大変疑問だと言われています。

異端審問について

異端審問も本当に異端審問だったのか、大変疑問だと言われています。例えば「それでも地球は動く」とつぶやいて天動説を唱えたガリレオが、「異端審問で有罪」とされました。フラットアースを知っている人なら、この出来事は意図的に創作された物語だったとすぐに理解できると思います。

こちらのサイト「異端審問: 本当に何が起こったのか 」を読むと、異端審問でカトリック教会が多数の無実の人々を溺死させたり、火あぶりにしたりして残酷に処刑していたというのは「神話」であり、通常の処罰は「聖母マリアの祈りを唱えたり、退屈な講義を座って聞くことだった」と紹介されています。

こちらの記事 でも、異端者が処刑されることは稀で、スペインで異端容疑者として教会法廷で裁かれた12万5000人のうち、処刑されたのはわずか1%だったと書かれています。

それでも異端審問では、厳しい拷問があり、人々が火あぶりになったことが知られています。なぜ間違った信仰を持った人を、火あぶりにしたり拷問する必要があるのでしょうか?つまり異端審問とは、そもそも信仰の問題ではくて、権力者に聞き従わない人たちの、取り締まりだったのではないでしょうか。

こちらの写真には、「異端者とみなされた科学者、芸術家、画家、彫刻家の、手や指を折るために、キリスト教の司祭によって15世紀に発明された機械」と書かれています。

なぜ科学者、芸術家、画家、彫刻家の手や指を折る必要があったのでしょうか?素晴らしい芸術作品を作られると、困るからではないでしょうか? つまり異端審問とは、実は千年王国の技術を持っていた人たちを、迫害していたのではないかと考えられています。

新しく改変された歴史や、グレゴリオ暦などに、反対の声を上げた人々を、粛清するためのものだったかもしれないと言われています。かつての世界を知り、記録や技術を残そうとした人々は厳しく拷問され、殺害され、そのうえで歴史が書き換えられたのではないかと言われています。

千年王国に巨人はいたのか?

千年王国は終わっている説を議論している人は、ほとんどが聖書フラットアーサーですので、聖書は真実であると考えていて、聖書に記述されている巨人がいたことも信じられています。巨大なドアがある建物が、各地に多数残されているので、巨人と共存していたことは特に疑問視されていません。

巨人と巨木 」の冊子でも紹介していますが、巨大なバイオリンがあり、巨人も音楽の演奏を楽しんでいたと私は考えています。

こちらに原画をリンク しますが、1612 年の中世のイラストに、よく見ると背丈が2倍以上の人物が描かれています。巨人と共存していたと考えています。

上記の絵の右下に、ドラゴンのような生き物も描かれています。巨人だけではなく、伝説の生き物と言われる生き物も、生きていた時代だったと私は考えています。

なぜタータリアが登場したのか?

タータリア説の主な扇動者は、歴史は1000年追加されていると主張している、アナトリー・フォメンコ 氏だったようです。フォメンコ氏は「世界の歴史は捏造だ」と主張して「新歴史学(New Chronology) 」を発表しています。その内容は、現在の歴史学と完全に相反するにもかかわらず、彼は今でもモスクワ州立大学の教授として雇用されているのです。フォメンコ氏は、ロシアの支配層に擁護されていると考えられています。

タータリアの登場で、現在のロシア・シベリア地方に位置していた「大タータリア帝国が世界を統一していた」という内容の、世界統一の物語が語られていました。やがてやってくる『共産主義新世界秩序に導くための布石』ではないかと考えられています。

またタータリアの登場で「過去の素晴らしい文明は、宇宙人か人間以外の存在によって作られた」と信じる人が増加したと感じています。

聖書の預言はどれだけ成就しているのか?

どの聖書の箇所がすでに成就していると考えられるのか、個人的にいろいろ考えることはあるのですが、まとめている時間がなくて細かくご紹介できません。海外の人のコメントを見ると、旧約聖書の預言も千年王国と共に実現したと考えている人が多いです。

私は旧約聖書に書かれているイスラエルの救いと、千年王国は違うと考えているのですが、この考えが本当に正しいのか、今後も追及していきたいと思っています。

また黙示録の預言については、たとえすでに終わっていたことがあったとしても、「支配層が実行する黙示録の災害」があるだろうと考えています。ですので、「千年王国が終わっているなら、黙示録の災害も多くが終わっているから安心だ」と言う考えにはならないです。

しかしながら、聖書に書かれていた通りに、イエス様がすでに再臨されていた可能性があると考えることは、私にとっては大きな安心になっています。


聖書は真実の本

こんなコメントを見かけたことはないでしょうか?

「地球が平らなのか球体なのか、どちらでもいい」
「ダーウィンの進化論なのか聖書の創造論なのか、どちらでもいい」
「ノアの洪水や出エジプト記などは、事実なのか創作の話なのか、どちらでもいい」
「私はイエス・キリストを信じているのだから、これらのことはどちらでもいいんです」
このように発言する人を時々見かけます。

このような「どちらでもいい」と発言する人の言葉を読むと、私はいつも背筋が寒くなるような気がします。それはまるで、「子どもが生まれたけど、男の子か女の子かどちらでもいいので、性別は確認していません」と言う母親のように、とても奇妙な、そして寒々とした言葉に聞こえます。

これら「どちらでもい」と言い放つ人たちは、聖書が真実の書物なのかどうかなど、興味がないのだろうと思います。自分の思い描く宗教に浸っているので、下手に真実を知ってしまうと逆に困るのでしょう。自分の宗教観念が、新しい真実によって崩壊してしまっては大変なのです。これらの人たちにとって、聖書は真実の本ではなく単に宗教の本なのです。

私が初めてフラットアースを知ったとき、本当に地球は平らなのかどうかと、何度も何度も真剣に考え、できる限り情報を探しました。今回の千年王国が終わっている説も同様だと考えています。「千年王国は終わっているのかいないのか」と真剣に考えることは、異端などではなく、真実を探すために、意味があることだと考えています。