追加記事 新天新地はいつやって来るのか?
イスラエルの回復の後にやって来るのは千年王国?新天新地?
通常キリスト教会では、「まずイエス・キリストの再臨があり、その後千年王国が始まり、そして新天新地が始まる」と語られれています。イエス・キリストはイスラエルの救い主であるメシアとして来られた方ですので、キリストの再臨の時には、イエスを受け入れずかたくなな状態だったイスラエルが回復して救われることが考えられます。では、その後にやってくるのは、千年王国なのでしょうか?そして新天新地はいつなのでしょうか?
新天新地がいつなのかを考えてみたいと思いますが、特に新天新地には「人は死ない」と書かれていることと、「太陽と月もいらない」と書かれているということに注目して考えてみたいと思います。
新天新地になると人は死ななくなるのか?
「新天新地」については、黙示録21章から詳しく描写されています。始まりの部分を書き出してみます。
黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
新天新地になると、神様が人々と共に住まわれ、悲しみも苦痛もなくなった世界がやって来ることが、書かれています。特に21:4には「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」とあり、「死もない」と書かれています。
ですので「すべての人は天使のような、霊的な状態になる」と考える人が多いのではないかと思います。教会の説教のブログなどを調べると「天国にいる状態です」と解説されていることもありました。
それに対して、イスラエルの救いの描写の中には、『死ぬ人がいる』ことが明記されています。例を紹介すると、「百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる」との記述がイザヤ書にあります。
イザヤ書65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
そこで、「イスラエルの救いの後は、少しは長生きになるようだが、まだ死ぬべき人間が生きているではないか!これは新天新地ではなくて千年王国のことなのだ!」「イスラエルの救いの後にやって来るのは千年王国であるとしか考えられない!」と、考える人が多いのではないかと思います。
新天新地でも地上の営みは続く
しかしながら、黙示録21章を24節まで読み進めてみると、「諸国の民」や「地の王」が登場します。さらに22章には「命の木の葉が諸国の民をいやす」と書かれています。人間が死なない霊的な状態なら、いやしが必要な民がいて、彼らに健康が与えられることが描写されているのはおかしなことです。つまり新天新地になっても、地上の営みは続いているのではないかと考えられるのです。
21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
つまり新天新地になっても、諸国の民や地の王がいて、いやしが必要な肉体を持って生きる人間が生きる世界は続くだろうと考えられます。「新しい天」と「新しい地」ですので、地上の営みが残されていると思われます。
「もはや死もなく」と書かれている意味は、肉体的に死ぬ人がいなくなるのではなく、現代のように「神を知らずに魂を滅ぼしてしまうことが終わる状態」のことを意味しているのではないかと考えています。
イスラエルが回復する時、太陽も月もない世界がやってくる
黙示録をさらに読み進めると、新天新地では太陽と月の光はもう必要ではなくなる様子が描写されています。
黙示録 21:23
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
黙示録 22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
この新天新地の描写と同じことが、イザヤ書60章でも書かれています。
イザヤ書60章は、まずイスラエルの輝きと栄光について語られ、イスラエル民族が帰還している様子が描写されています。さらに城壁が立て直されて再び街が建てられる様子が語られています。
そしてその続きに、太陽や月がイスラエルを照らすのではなく、神が栄光の輝きとなる様子が書かれています。黙示録の新天新地と、同じ状況が描写されているのです。
イザヤ60:19 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。60:20 あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現す、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。
イスラエルの救いの後には新天新地が創造される
さらにイスラエルの救いの後には、「新しい天と新しい地を創造する」と書かれています。
イザヤ書65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
イザヤ書66:22 わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。
イスラエルが救われるとき平和はとこしえまで続く
そして第4回でも解説しましたが、イスラエルが救われると、その平和はとこしえまで続くことが書かれています。途中で悪魔が解放されて再び人々を騙して、戦争がある千年王国のことではありません。永遠の救いが繰り返し預言されているのです。
イザヤ書 9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イザヤ書 32:17 義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。32:18 わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。
イザヤ書 45:17 イスラエルは主によって救われ、永遠の救いに入る。あなたがたは恥を見ることがなく、いつまでも、はずかしめを受けることがない。
イザヤ書 61:7 あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。
エレミヤ書 31:34 そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──主の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。
旧約聖書に書かれているイスラエルの回復を通じて与えられる祝福の預言は、新天新地に関することであり、千年王国ではないと考えています。
聖書の言葉から見て、イスラエルの救いの後にやって来るのは、新天新地ではないかという結論です。ですので、先に千年王国が終わっていることは、とても理にかなっていると考えています。