第9回 ベルサイユ宮殿にトイレはなかった
噴水が作れるのにトイレは作らなかった
私が千年王国がすでに終わっている説を調べ始めた時、この説には可能性があるかもしれないと最初に感じたのは、「ベルサイユ宮殿にはトイレも水道もなかった」ことを知ったときです。
私は昔、バックパッカーでアジアの貧しい地域を旅行したことがあって、原始的なトイレをいくつも見てきました。貧しい村でも、トイレは必ずあります。レストランや食品店は見つからなくても、トイレは何とか見つけることができました。食事は我慢することができても、排泄を我慢することはできません。トイレは人間が生きるために必要不可欠なものです。
すでに古代ローマ時代から、下水道が造られていて 、公衆トイレの遺跡はヨーロッパの各地にたくさん残されています。それなのにベルサイユ宮殿にトイレを造らなかったというのは、とても信じられないことです。
特にベルサイユ宮殿の広大な庭には、かつては2,000 もの噴水があり、46キロメートル以上の地下パイプ網が設置されて、池や噴水に流水を供給していたのです。噴水の水はセーヌ川から取られ、水道橋とポンプによって汲み上げられていました。ポンプを動かしていたのは、直径12 メートルの水車14個で、電気も蒸気も使わずに、合計で257 台ものポンプを駆動させていたという、驚異の技術を持っていたのです。
さらにベルサイユ宮殿には2000を超える部屋があり、ルイ14世の治世当時は3,000人から 10,000人が住んでいたとされています。数千人が集まったら、毎日の排泄物の量は大変な量になることでしょう。ベルサイユ宮殿の美しい庭園や、芸術作品のような建物を作り上げた建築技術者たちが、廊下や庭が糞尿で汚されることに、無関心だったとはとても考えられないです。
古代ローマ人ですら造ることができたトイレを、ベルサイユ宮殿のような素晴らしい建物を建てることができた技術者が造らなかったことは、絶対にあり得ないと思いました。つまり、ベルサイユ宮殿に最初に住んでいた人々は、「トイレの必要がなかった人たちだった」という結論が、たいへん納得のいく結論なのです。トイレの必要がなかった人たちというのは、「復活の肉体を持っていた聖徒達」のことです。
キリストの栄光のからだを持った千年王国の聖徒たち
もし千年王国が実現していたら、復活した聖徒たちにはトイレなど必要ありません。多くの人々がイエスの名のために死刑となりましたが、彼らは自分たちのからだが、キリストの栄光体に変化することを期待していました。「キリストに似た者」となって復活するという、明確なビジョンを持っていました。
ローマ人への手紙 8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
ピリビ人への手紙 3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、 3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
ピリピ人への手紙3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
Ⅰコリント人への手紙5:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
Ⅰコリント人への手紙15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
Ⅰコリント人への手紙15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。 15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
Ⅰヨハネの手紙3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
千年王国が実現していたら、聖徒たちはキリストと同じ、「復活のからだ」「栄光のからだ」を持っていたはずなのです。キリストの復活のからだは、壁や扉をすり抜けることができ、永遠に朽ちないからだです。イエスは復活後に魚を食べましたが、食事をする必要のないからだで、トイレに行く必要のないからだなのです。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く
イエス・キリストが十字架に架かられる前夜、弟子たちに対して「住まいを用意するために行く」ことを告げられていました。
ヨハネの福音書14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
「14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります」の英訳は「In My Father’s house are many mansions」で、「父の家には、多くのマンションがある」と言う意味になります。日本語で「マンション」と言えば、3LDKほどの集合住宅を思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、英語でマンションとは、大邸宅、大豪邸を意味します。ギリシャ語でも「住居、大邸宅」という意味の言葉です。
イエスが語られたように、千年王国が始まる時は、イエスに従い迫害を受けた聖徒たちのために、大邸宅が準備されているはずなのです。それが地上に現れたのが、ベルサイユ宮殿を代表とする超豪華な建物だったのではないでしょうか。そこに住む住民は、キリストと同様の栄光体を持って復活した聖徒達です。彼らにトイレや台所は必要ありません。それゆえ、トイレや建物内の水道などは造られなかったのです。
人間業とは思えないほどの芸術がつぎ込まれた建物は、御使いか、もしくは、神の超自然的な力で建てられたか、また栄光を受けた聖徒達によって完成されたのかもしれません。第8回で大聖堂、パイプオルガン、彫刻などの、高度な建築や芸術作品を紹介しましたが、ベルサイユ宮殿も同様に、これらがノミやハンマーなどを使って、人の手で造られたとはとても思えないような、豪華で壮大な芸術作品をちりばめた建物なのです。
トイレがないのはベルサイユ宮殿だけではなかった
トイレがなかったのは、ベルサイユ宮殿だけではありませんでした。トイレの件について、タータリア研究者の、「Auto didactic」が、Why Were There No Toilets in Tartaria(タータリアにはなぜトイレがなかったのか)
という動画で話題にしていました。このチャンネルは、オーストラリアのパースに住む人のチャンネルで、一緒に動画に登場している女性も、同じくオーストラリアに住む「Tartaria Australia」のチャンネルの人です。
この動画の一部が、ショート動画になっていましたので、日本語訳を添えてご紹介します。彼らの調査の結果、オーストラリアのメルボルンの豪華な建築物にも、トイレや台所がなかったことを語っています。
日本語訳:
私たちがたどり着いた場所は、素晴らしい世界です。
私たちはエンジニアリングの能力と、驚くべき建築デザインと、巨大な建物を造る工学技術をサポートする、素晴らしい産業を持っています。
メルボルンのどこを見ても、巨大で壮大な高度に設計された建造物が、全方位にあります。
それらのどれにも、バスルーム、トイレ、配管、キッチン、そして多分、寝室さえ含まれていませんでした。
それらは基本的に、現在の形の人間なら、すべて必要とするものです。
金ぴか時代の大豪邸にもトイレがなかった
上の写真の建物は、スタンダード・オイルの創設者ヘンリー・モリソン・フラグラー所有の、ホテル ポンセ デ レオンです。「金ぴか時代(Gilded Age)
」と呼ばれる時代に建てられたリゾートホテルということになっています。「金ぴか時代」とは、1877 年から 1900 年までの期間、カーネギー、ロックフェラー、モルガンなどの大金持ちが誕生した時代と言われ、彼らがこぞって豪邸を建てたと言われる時代です。このホテルは1887 年に建設されたそうです。
建物の部屋数は、全部で504室あるそうですが、なんとトイレはたったの一つだけだったそうです。これだけ豪華な建物を造る技術があり、しかもホテルなのに、トイレが一つしかない?というのはとても奇妙です。そもそもホテルだったのかという疑問がわきます。
金ぴか時代に建てられた豪邸は「gilded age mansions」などで検索すると、たくさん見つけることができます。
内装も超豪華で、天井も壁も細部まで丁寧に装飾されていて、まるで宮殿のようです。
これらの建物も、タータリアを調べる人たちから、「タータリア建築」と呼ばれたりしますが、マッドフラッド・タータリア関連情報を集めたStolen Historyのサイトに、「金ぴか時代の建物には、トイレがまったくない豪邸がある」という書き込みがありました。この書き込みをした人も驚いている様子ですが、これだけ豪華な建物にトイレがないとは、とても信じられないことです。
日本語訳:
引用元https://stolenhistory.net/
19世紀以前には下水設備が存在しなかったとは、ちょっと信じられないです。
私の曾祖母の家では、家の外にトイレがあったのを覚えています。 家の中に「悪いエネルギー」をもたらすと信じられていたため、トイレを外に置く習慣がありました。
しかし、19世紀以前には、屋外のトイレさえ報告されていないのです。彼らは一体どこで用を足していたのでしょうか?
20世紀の金ぴかの時代でさえ、トイレや下水設備がまったくない豪邸を見つけることができます。 あれだけの高級品や手の込んだ飾りと装飾品があって、ウンコは窓から投げ捨てられたとは。 これは信じがたいことだと思います。
火を使わない暖炉
金ぴか時代の豪華な内装の写真から見つかっているのが、「火を使わない暖炉」の設備です。暖炉というと、薪を燃やして部屋を暖める設備のことを言いますが、これらの建物には、火を燃やさない暖炉が設置されていて、こちらも「タータリアの技術」として知られています。詳しくはこちらの動画
などを参照してください。
暖炉の手前には、2個セットの脚付きの装置があります。この装置が背面の金属板に作動して、室内を適温にすると考えられています。どのように作動するのか明確にはわかっていないようですが、ラジウムの働きによるものではないかとも言われています。
ホテル ポンセ デ レオンの写真にも、2個セットの装置のある暖炉がありました。
「金ぴか時代」の建物は、実は19世紀後半ではなくて、もっと昔に建てられた建物ではないかと言われています。その証拠として、上記に紹介した火を使わない暖炉が設置されていると言われています。「金ぴか時代(Glided Age)」の様々な矛盾について、下の動画などもぜひ参考にしてください。
千年王国が終わってウンコは窓から投げ捨てられた
千年王国がいつ終了したのかについては、様々な意見がありますので、また別の回で紹介したいと思います。とにかく千年王国が終了したと考えられ、聖徒達はいなくなりました。トイレのない建物に、トイレが必要な人たちが住み始め、その人たちには排泄物に関する正しいルールがなかったようです。ハイヒールの文化などは、その時代の人々の必要品として登場したようです。
「ハイヒールはウンチを避けるため? 中世ヨーロッパの汚物事情」より抜粋
衛生問題は、寝室用便器(しびん)により、一層悪化しました。しびんの中身はしばしば路上にぶちまけられました。とくに、夜、2階の窓の下を歩くのは危険でした。
夜の闇に乗じて、こっそりとしびんを空にしたからです。道路や広場はウンチ・オシッコで汚れ放題。それらはほんの間に合わせで片付けるだけだったので地下にしみ込み、井戸を病原菌で汚染する結果になりました。貴婦人たちの裾が広がったスカートも、どこでも用が足せるための形でした。17世紀初めにつくられたハイヒールは、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出されたもので、当時はかかとだけなく爪先の方も高くなっていました。
中には全体が60センチメートルの高さのハイヒールまでありました。また、2階や3階の窓から捨てられるしびんの中身をよけるためにマントも必要になりました。
汚物の溢れる排水溝もあり、この頭上から降る危険のため、紳士は淑女が汚物から離れた道路の中側を歩くようエスコートする習慣ができたと考えられています。
ハイヒールはウンチを避けるため? 中世ヨーロッパの汚物事情より
マッドフラッドやタータリアに集まった人たちも、前文明にトイレがなかったことは疑問だと考えています。そこで彼らは、「タータリア帝国のタータリア人たちは、食事からのカロリー摂取に依存しませず、代わりにエーテル、酸素、窒素、水素などの大気中の物質からエネルギーを摂取することができる人たちで、ブレサリアン(不食者)であった!」という結論にしています。
中には、「タータリア人ではなくて、実は地球外生命体、もしくはアヌンナキであった!いや、レプティリアンだった!」などと主張している人たちもいます。とにかく「食事をしない特殊な人たちによって素晴らしい文明は築かれた」という結論に至っているのです。
タータリアの人たちの主張を見て、「食事をしない特殊な人たちとは、復活のからだを持った聖徒たちであり、芸術作品のような素晴らしい建物が建てられ、かつては人々が平和に暮らす素晴らしい文明だったのは、千年王国だったからではないか」と気がついたのが、聖書を学ぶフラットアーサーの人たちでした。
先入観からの脱出
現在は千年王国が終わり、悪魔が解放され、世界中を惑わす時代が始まっているのではないかと考えられています。
大聖堂はカトリックの所有物になり、前時代の壮大な建築物の多くは破壊され、残された建物は、銀行、裁判所、国会議事堂、大学、郵便局などに鞍替えされ、大豪邸は大金持ちの邸宅として分配されました。ベルサイユ宮殿やサンクトペテルブルグの宮殿などは、皇族の所有物と言われ、彼らのために建てられたという物語になりました。
有名な物語は繰り返しドラマや映画になり、人々の脳に刷り込まれて、やがて歴史的事実となってしまいます。私が小学生の頃に「ベルサイユのばら」が大流行して、ベルサイユ宮殿と言えば、オスカルやアンドレ、そしてマリーアントワネット王妃の物語でした。そのように、ベルサイユ宮殿とキリストの千年王国など、結びつかない人が多いのではないかと思います。
私たちは学校やテレビや映画などで、さまざまな先入観を植え付けられているので、今まで教えられた歴史と、まったく違うことを想定する事はとても難しいのです。
しかし聖書の言葉に注目すると、
イエス・キリストは「2000年後に再臨する」とは言われませんでした。
イエス・キリストは「人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせない」と言われ、すぐに再臨することを示唆しておられました。
そして「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く」と、復活する聖徒たちの住む場所を準備されると言われました。
世界中には芸術作品のように、隅々まで手が込んでいて、人の手で造られたとは信じられないような豪華な建築物があり、それらにはトイレや台所がなかったのです。
「未来に千年王国がやってくる」という先入観は、キリスト教が植え付けた「先入観」だったのではないでしょうか?
「千年王国は終わっている説」必見の動画。YouTubeの動画が消されてしまったので、Bitchuteからリンクしています。