第1回 千年王国は終わっている説を解説する

タイトルの「千年王国は終わっている」を読まれて、どのようなことを思われたでしょうか?
「何を言っているのだ、異端だ!」と、心の中で叫ばれた方もおられるのではないでしょうか。または「意味がわからない」と思われた方もおられると思います。「千年王国は終わっている」という意味は、つまり「キリストの再臨はすでに終わっている」ことを意味します。

「そんなことはあり得ない!」というのがほとんどの人の意見だろうと思います。私も最初はそう思っていたのですが、ある時このテーマについて調べてみようと思って調べ始めた結果、今まで疑問に思っていた様々な事が、パズルのピースをはめるように、この説とピッタリと合致していることに気がつきました。

「千年王国は終わっている」または「キリストはすでに再臨された」説は、キリスト教の神学ではPreterism(過去主義)として知られています。ヨハネの黙示録に預言された終末的な出来事は、「すでに過去に起こった」という考えで、現在聖書を学ぶ海外の聖書フラットアーサーの間で、熱心に議論されています。これから解説することは、完全なPreterism ではありませんが、Preterism の考え方に近く、聖書の預言の一部はすでに成就していたとの考えがベースになっています。

まだまだ分からないことも多く、私自身も調査研究中ですが大変興味深く、この説について研究する人が増えてほしいと思っていて、これから数回に分けてご紹介していきたいと思います。

イエスはすぐに再臨することを語っていた

通常のキリスト教では、イエス・キリストが昇天されて約二千年もの間、キリストは一度も再臨していないと考えられています。私たちはキリストの再臨のために祈るようにと教えられ、そして再臨が実現すると、黙示録20章に預言されている千年王国が始まると言われます。

しかし聖書を丁寧に読むと、イエスは「すぐに再臨する予定であった」ことや、弟子たちは「自分たちが生きている間に、イエスの再臨があると考えていた」ことがわかります。

まず、イエスの言葉と、弟子たちの言葉を確認してみましょう。

イエスの言葉

マタイ 10:23 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです

マタイ 16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。16:28 まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」

マタイ 24:34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません

マタイ 26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」

マルコ 14:62 そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

ルカ 9:27 しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

ルカ 21:35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。 21:36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

弟子たちの言葉

ローマ13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

Ⅰコリント人への手紙7:26 現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。 7:27 あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。

Ⅰコリント人への手紙 10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです

ピリピ人への手紙4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです

Ⅰテサロニケ 4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

Ⅰテサロニケ 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません

Ⅰテサロニケ 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

Ⅰテモテ 6:14 私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

Ⅰペテロの手紙1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。

Ⅰペテロの手紙4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

 ヘブルへの手紙1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

ヘブルへの手紙10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

ヘブル人への手紙 10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 10:37 もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない

ヘブル人への手紙13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです

ヤコブの手紙5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。 5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。 5:9 兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。

Ⅰヨハネの手紙 2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

真理の御霊は、未来に起こることを示した

いかがでしょうか? 聖書の物語だけを読んでいたら、「いまだに再臨がされていないなんてそんな馬鹿な」と考えるのが当然ではないでしょうか。

イエスはすぐに再臨することをして想定して弟子たちに語り、また警告を与えていました。弟子のヨハネは、当時すでに多くの「反キリスト」が登場していると語り、人々はすでに「世の終わり」だと考えていて、キリストの再臨が近いと思っていたのです。

聖書には、もし語ったことが実現しないのなら、「その人物は神からのものではない」と書かれています。

申命記18:22 預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。

また弟子たちは「真理の御霊」によって、未来に起こることを示されると書かれています。

ヨハネ16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです

使徒パウロは、イエスの再臨が間近に起こると信じて、「結婚はしない方がいい(Ⅰコリ7:26)」と人々にすすめていました。もし再臨が実現していなかったら、結婚したかったのにできなかった人にとっては大変な悲劇です。神の真理の御霊とは、ニセモノの約束と慰めを与えていたということになります。

イエスはすぐに再臨することを語り、また弟子達がすぐに再臨があると信じていたのに、今もまだ実現していないのなら、「イエスは神から来た者ではなく、また真理の御霊は、間違った希望を弟子たちに与えた」となり、聖書は信じる値打ちのない書物と言われても仕方ないのです。私はこのテーマは大変重要な問題ではないかと考えています。

千年王国は終わっている説のイントロダクションとなる動画を子紹介します。元動画がYoutubeから消されたので、BitChuteからリンクしています。
動画のリンク先はこちら→https://www.bitchute.com/video/ebw2hcChlz57/